2008年11月27日木曜日

私は貝になりたい 2

 2008年11月27日(木)午前7時
 良く眠れたので、今朝は気持ちが良い。 「今日も、訓練を頑張って、早く全ての患者さんの鍼ができるようになるぞ」と思う さて、前回のブログの最後は、もし本があれば、それを読んで見たいと心に決めて家に帰った。と言うところまでであった。そうだ、私は貝になりたいという映画を見て、本を探そうと思ったことを書いた。 それで昨日、見つけて読んだ。ちょっと見た感じでは、やはりだんまりを決め込みたいのではなくて、人の煩わしい暮らしが嫌だと本人は訴えたいことが分かった。 40年も勘違いしていたことが分かって良かった。
 
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年11月23日日曜日

私は貝になりたい

 2008年11月23日(日)午前9時半
 昨日3ヶ月ぶりに映画に行った。最近は寝る前にしかビールを飲まないことにしているので、映画館でもせっかくビールホルダーが作られているが、それにもかまわず、館内に入る前に、サンドウィッチで昼を済ませた。 さて、画面が、つまり上映されているのが九つあったがお目当ての「私は貝になりたい」を無事に楽しむことができた。 タレントのスマップの一人が主演で今日が初日だったので、見る人があまりに多いようなら違う部屋(違う画面)に行くことも考えていたが、ガラガラだった。やはり固い話は受けないのかも知れない。 この「私は貝になりたい」と言う題名には少し記憶がある。まだ私が大人になる前にこの題を、そしてその中身について少し聞かせてもらったような覚えがあるのである。それ以来、私はものを言うことが嫌になったので、口を貝のように閉ざして、「だんまり」を決め込みたくなった、ある人の話だと思っていた。 が、昨日の映画から私が受けた感じでは、人の世が嫌になり、人間にこき使われる、牛や馬でもない、誰も来ない海の底にいる誰とも関わらないで済む、貝になりたいと言う気持ちになった人の話になっていた。私の理解が足りないのか、数十年前にあった映画の訴え方が違っていたのか分からない。 私は帰りの車の中で家内に、この自分の記憶と今日の映画の内容との違いについて話したら、彼女も同じ気持ちでみていたと言う。それで私は、今度はこの話が、本になっているかを調べて、もし本があれば、それを読んで見たいと心に決めて家に帰った。
 
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2008年11月18日火曜日

2階 3

 私の悪い方の腕が僅かに良くなったので、昨日から今年の夏までのように、2階に上がる時、手すりを使っての手の訓練ができるようになった。 私は、今年の夏から2階に上がる時に、階段の両側の手すりを持って上がるようになっていた。普通の階段には手すりは1本しかない。しかし、私が2階に住むためには訓練とはいえ、片麻痺の私は、危険を減らすために、手すりを1本増やして2本にしていた。安全のためという考えしか私にはなかったが、実際に手すりを使って階段を上がって見ると、これが何と素晴らしい手の訓練になることが分かった。まず手で手すりを持つためには、腕を少し挙げなければならない。しかも指を開いて、その次はその開いた指を曲げて、手すりを持たなければならない。そして次には、階段を1段か2段上がって、手すりを持ったままで下の段の高さで、つまり自分の体の後ろ下よりにある手を、自分の体の傍まで、手を滑らせながら、持ってこなければならない。この滑らせることが、脳の麻痺の人にとっては大変である。脳のための麻痺は、力が入らないこともあるが、大変な部分の多くは、手や脚がこわばって動かないことにあると、私たちは鍼の教師に習った。 このように、階段を上がる時、悪い方の手は、握る、指を開く、そのためには、腕を前や上に動かす等、大変いい訓練になる事を知った私は、喜んでこれをやっていたが、再び起こした出血のために中断していた。それがまたできるようになり、大変ありがたい。

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2008年11月15日土曜日

生家 2

 08年11月15日(土曜日)午後10時
 今日は、素晴らしいドラマの部品というか、小道具というかその素晴らしさを書こうと思ってパソコンに向かってみたら、何と我が家の「ブログコメント受信システム」のお陰で一人の読者からのコメントガ届いていたので、それに関してのことを今回は書こうと思います。

  まずそのコメントから貼り付けてみます。

こんばんは!M.Sです。実家に行かれた結果はどうでしたか?きっと、好き嫌いなど、なにもなく、なんでも、おいしい!と言って食べられる両親ではないですか?懐かしくて、楽しいお話を待っていますよ!了

 これでコメントは終わりです。 次は、私の日記を書く番ですが、今回は親の家には先日書いた「まえさん」に運転をしてもらって出かけた。それで、今日からこれを読まれる方のために、まえさんのことを数日前の記事から引用する。 08年11月11日午後10時 まえさん(仮名)とは、居酒屋さんで知り合った。なぜそのお店に行ったのかは忘れたが、その店の雰囲気が良いと思ったのは、今も良く覚えている。 私がお湯割りを数杯飲んだ所にまえさんはその居酒屋へ入って来た。そして彼は私の左隣に腰掛けた。 こんばんは。まえさんは私に言った。 お客さん、お家はそばですか彼は私に聞く。 車で15分ぐらいです。私は答えた。 お客さんは、ここにタクシーで来るんですか。再び彼 お客さんは、良くタクシーに乗るんですか?と、彼。 私は答えた。 「はい、運転出来ませんから」 彼はタクシーの運転手さんだった。そして彼は私に言った。 「お客さん、タクシーに乗る時は電話してください。」 「はい、チャンスがあったらお願いします。」 それから、数回目の居酒屋さんで彼に会った時、私は彼に話した。 「私はいろんな所に行くんですが、少しのお礼で走ってもらえませんか」 「よかですよ」

もうう5年ぐらいになるだろうか。それからまえさんには、近くは車、遠くは飛行機や列車でいろんな所に突き合ってもらうようになった。 さて、まえさんは午後の1時に、約束通り迎えに私の家に来た。「鹿本にそのまま行きますか」とまえさん。「まえさん、一軒お菓子やさんに寄ってください」 「酒屋じゃなくて菓子やですか。そしてそらどこにあっとですか」 私の変わりように驚いたまえさんが吃驚して場所を聞く。 私は、車の中で電話をした。「もしもし、中原さん(仮名)ですか」 「はい、中原です。」 「才田です。早速ですけど、お嬢さんのお店は今日開いていますか」 「はい、明日の月曜が休みで、今日は開いてますよ。」 「お店の場所を教えてもらおうと思って電話しました。今運転している人と代わりますからお願いします」 私は、まえさんに電話を渡した 車は走り始めた。 私の家から15分ぐらいでお店に着いた私たちは中へ入った。こじんまりした静かな店内には柔らかな音楽が流れている。11月のうすら寒い曇り空の外から中に入ったためもあろうが、中は甘いお菓子の香りと、暖房の暖かさがここちよい。 ここまで書いたら、10時になってしまった。もう、寝ないと明日の訓練が辛い。続きは明日か何時かにしよう。
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年11月11日火曜日

まえさん 1

 08年11月11日午後10時
 まえさん(仮名)とは、居酒屋さんで知り合った。なぜそのお店に行ったのかは忘れたが、その店の雰囲気が良いと思ったのは、今も良く覚えている。 私がお湯割りを数杯飲んだ所にまえさんはその居酒屋へ入って来た。そして彼は私の左隣に腰掛けた。 こんばんは。まえさんは私に言った。  お客さん、お家はそばですか、彼は私に聞く。 車で15分ぐらいです。私は答えた。 お客さんは、ここにタクシーで来るんですか。再び彼 お客さんは、良くタクシーに乗るんですか?と、彼。 私は答えた。 「はい、運転出来ませんから」 彼はタクシーの運転手さんだった。そして彼は私に言った。 「お客さん、タクシーに乗る時は電話してください。」  「はい、チャンスがあったらお願いします。」 それから、数回目の居酒屋さんで彼に会った時、私は彼に話した。 「私はいろんな所に行くんですが、まえさんの休みの日に、私の車で少ししかお礼できませんが走ってもらえませんか」 「よかですよ」 oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年11月8日土曜日

生家

 平成20年11月8日(土)午後5時
 明日は久しぶりに私の生家がある「市木『いちぎ』」へ行く。この市木と言うのは小字である。現在は合併したので、山鹿市鹿北町市木と言うことになっている。この市木のある鹿北町は、熊本・福岡・大分の3県の境目にある山林の多い町である。 今は、山鹿の町から車で20分余りの所にあり、割合簡単に買い物に行けるが、私の小さな頃は、親に 「山鹿に連れて行くぞ」と言われると、大都会に行くような気がして、大変喜んだものであった。 明日はまえさん(仮名)に運転してもらって行くのだが、1時間余りでその市木へ着く。私も何か親の好きな食べ物でも持って行こうかなとは思うのであるが、考えて見ても、親は何が好きだったか分からない。如何に自分のことだけ、自分の家族のことだけしか知っていなかったかが分かる。 昨日親に電話をした 「今度の日曜に行くよ、何か好きな物でも買って行こうと思うばってん、なんがよか」ときいても親である。 「なんでんよか」という。 親孝行の人は、日頃から、親の好きな物は既に知っていて聞かなくともちゃんと好きな物を用意して行くのだろう。私も心がけねばならないとやや遅めだが思ったりしながら、このブログを書いている。 取りあえず明日は、知った人がお菓子屋さんを始められた様なので、その人に相談してみよう。

2008年11月5日水曜日

2階 2

2008年11月5日(水)午後11時
私が二階に越したと前回に書いた。今回は、何故越したかを書いてみたい。
私が二階に移るまでは、母親が二階を使っていた。
母親はやがて90歳である。歩きかたは元気で、階段の昇降も難なくできていた。
しかし、何時かは階下に降りてもらうことを、私と家内とは常々話し合ってはい
た。そんな状況の中で、階下の居間の隣に、5年前にパソコンルームを作った。
居間が6畳の広さで、作ったパソコンルームが6畳の広さである。初めからここ
を母に将来は使ってもらおうと想ってきた。
 さて、今年母が肺炎になった。私たちの不注意もあったが、生来強い体の母は、
直ぐ快復した。そこで私と家内はもう母に階下に引っ越してもらうことにした。家内が私に言った、
 「お父さん、2階の二部屋を使えていいね」
 私はまた新しい暮らしが始まるような、楽しい気分を味わい始めた。最近午前中は、本を読んだり本を作ったりして過ごし、昼からは体の訓練を夕方までやっている。ほんとにありがたい毎日である。