2010年2月24日水曜日

日差し

 2010年2月24日(木)午前11時
 2年前のブログを見ると、光の春ということを書いている。そう言えばもう、
24節季の雨水も過ぎた。ところで、なぜこの「日差し」を題名に今日のブログを
書いたかというと、今、お手洗いに入ったのだが、この二階のお手洗いは東側に
窓がある。それでここから天気の良い日には日差しが入る。その日差しを今あび
て、暖かさが増した感じが今日は特に冬にしては強く感じたからである。
そしてまた、最近はいろんなこの暖かさを感じる条件も重なっている様に思う。
幾つかあげてみると、
1.お手洗いには私の病気の再発の予防と暖房のために、300ワットのヒータ
を24時間入れているので、この部屋は常時15度以上に保たれている。
2.ここ数日「春一番」が吹いたりして気温がいつもより5度ほど高くて、少し暖か
な日差しもその暖かさを強く感じ易い。
 間違いなく、春は今年も我が家にも来そうでありがたい。

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2010年2月21日日曜日

幸せ

 10年2月21日日(日)午後5時
 昨日、一組の夫婦の来客があった。
 その旦那の話に、良いな・幸せだなと思うことがあった。
  これから後はその旦那の話である。
 最近私の所に電話がありました。それは、結婚のお祝いの品を送ったことに対
してのお礼の電話でした。そしてお礼の後に、どんなに結婚生活を自分は望んで
いたかということと、そして実際にその結婚生活をしてみたことがどんなに楽し
くどんなに素晴らしいかを、生活の具体的なことも交えながら、とくとくと語り
続けられました。初めの内は良かったなと思えたのですが、余りにもひとりよが
りな話とその繰り返しの言葉に少しこちらの気持ちもさめてしまい、困ったなと
思いながらも役目上しかたなくそれを聞き続けている内に、
 「ま~ぁ、良いことを話したくて電話をされたんだからいいか」と私は、一時
は嫌になりましたが、後では嫌になるのを通り越して、この人は本当に幸せにな
れて良かったなと思いなおすことにしました、ということであった。
 この話を、昨日は用件が一段落した時のお茶を飲みながら私たち夫婦は聞い
た。
 そして今日、朝飯の後のお茶を飲みながら、私と家内は、昨日お客から聞いた上
の結婚した人の話をした。
 家内が言った。
 「幸せだから、その人の幸せを喜ぶことができる」
 私はそれを聞いて「名言」だなと思った。
 その話の彼は、私も家内も知っている人である。その人は、科学的な知識等、
我々よりも優れている。しかし、彼は一般的なことではやや純粋過ぎる感じの
話もしすぎることがある。しかし、それだけに私たちは、彼が幸せだ、幸せだと
何度もとくとくと語ることを聞いて、大人げないと笑うよりも、素直に「良かっ
たな」と心から喜びたいと思えたことはありがたかった。それは、私たちの幸せ
が証明された感じがしたからではあるまいか?
やはり、奥さんの「幸せだから、その人の幸せを喜ぶことができる」というのは名
言であろう。

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2010年2月17日水曜日

支援会14(希望荘)

 10年2月17日(水)午後9時
 先日の日曜、あすなろ支援会の役員会をした。
この春の総会の準備をするためである。
 初めの議題は、総会の日取りと場所であった。日取りは3月の14日になった
今度総会で正式に監事になっていただく丸尾さん(仮名)の空いている日がこ
こだけということでそれが決まった。今度は総会開催場所である。
 私は電話をした。
 熊本市のほぼ中心にある「希望荘」という身体障害者の会館とも言える施設へで
ある。
 「3月の14日ですが、20名ぐらいで会議をしたいのですが、部屋が空いてい
るでしょうか」
 「ありますよ。何時から何時ぐらいまでですか」係の女性
 「はい、10時から14時までをお願いしたいと思っています」と私
 「分りました。仮押さえをいたしておきますので、近い内にどなたかこちらに
お出でください。」と係の方
 私は、持って行く物は印鑑だけで良かったでしょうかと聞くと、今は何もいら
ないということであった。
 次第に難しくなる手続きが多い最近、簡単になるとは面白いし、ありがたいと
思った。
 私は庶務係に私の名刺を渡して、総会の会場を借りる手続きをしてきてくれる
ように頼んで、次の議題に移った。
 
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2010年2月14日日曜日

あすなろ支援会13(役員会)

 10年2月14日(日)午前12時
 今回も「あすなろ支援会」の話である。今日、午後4時から事務局長の自宅で役
員会をする。内容はやがて行う総会の準備である。
 これを書きながら昨年のことを思い出した。昨年は監事さんが厳しくやり過ぎ
たために会計が辞任した。そして、私は昔の人の智恵に学んで後の始末をした。
 それからもう1年が経った。会計も監事も変わってりっぱな人がやってくださっている。
 今度の役員会と総会とは問題なくこなせそうである。問題はその後に有るよう
な気がする。
 その1番心配されるというか気を付けていなければならないことは、役員のモチベーションの高まりのストップであるような気がする。
 このまま良い状態を保ちながら、次のステップを作りたい。そのためには、今
年は我々役員や会員の関わるイベントを何か考えたい。
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2010年2月12日金曜日

あすなろ支援会12

 10年2月12日(金)午後4時
 前のブログを見ると、「あすなろ支援会」の「支援事業」のことを2月に書いてい
る。今回も時期なのでそれを書きたい。初めのころは、予算が支援事業は4万
円ぐらいだった。今回の10年度の予算をこれから総会に諮るのだが、14万円で
ある。会員も予算も約3倍となっている。
 今年の2月現在では、会員数が36名となっている。
今年は14万円で支援をしたいと考えているが、この二人がうまくいけば、「あす
なろ支援会」に関係する鍼治療院が7軒となる。一人では鍼を世間にアピールする
力も弱いが、グループだと何かできそうである。

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2010年2月2日火曜日

同級生

 10年2月2日(火)午前11時
 2月になってまだ寒いが、ここ二階の部屋の窓の外では、小鳥が明るく鳴い
て飛び交っている。私の気の持ちようなのか、その小鳥の声が次第に活発になっ
ている感じがする。
 さて、今日は火曜日だが、一昨日一年ぶりに同級の彼と会ってビールを彼の家
で飲んだ。その山田さん(仮名)とは、一年前にも会うことは会ってはいるのだ
が、みんなと一緒の会合なので二人だけで話すようにはいかず、一昨日のよう
にゆっくり話したのは数年ぶりであった。以前にも彼とは数年に一度会って話し
ていた。互いに話を楽しくできる関係で、長い時には八時間も話していた。
 それは三年前のことであった。私がその彼に電話をした。
 「山田さんが今度会の世話役を辞めたので、お疲れさんを言いたくて、ビール
をあんたの家に持って行って良いですか。」と私。
 「もちろん、どうぞどうぞ」と彼。
 「今度の日曜は」と私。
 「ちょっと先約がある」と彼は言った。
 「じゃあ、また電話する」と私は言って、切りのボタンを押した。それから私は病
に倒れた。
 そしてもう三年も経った。ちょうど私が最近始めた「あすなろ支援会」のこと
で彼に相談したいことがあったので、電話をして、約束した日が一昨日であった。
 話は極端かも知れないが、もうすぐ死ぬ私なので、この支援会のことも知って
いて欲しい、その同級生の彼のセンスを感じて欲しい。この二つを考えた私は、
当日は支援会の事務局長の堀田さんを誘って、同級生の彼と話をした。武士道
が好きな彼との話の内容も面白いが、それはまた、折を見て書くことにしたい。
 
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2010年1月30日土曜日

今度の人

   送別会
 明日は、近くのお店で、私の家の仕事を手伝ってくれた人の送別会をするつも
りである。
 これは少し前に書いた文の出だしである。
私の治療院を離れていく人のことである。
 今回は来月から仕事を職員として手伝ってくれる人のことを書きたい。本人に
了解をいただいていないので、仮名にしたい。朝野さんがその仮名である。
 朝野さんは、私の所に一昨年3ヶ月研修に来て、昨年も2回目の研修に来た。
 昨年のことであったが、研修に来ていた彼女が私に言った。
 「私もここで働かせてください」
 私は答えた。
 「北山先生(仮名)が辞める来年の春までは、家には私が病み上がりのために
給料を一人分しか払えない。それで来年の春からなら家に来てもらってもいいで
す。」
 「母と相談してお答えします」と彼女
 翌日の彼女の答えはこうであった。
 「来年の春までは研修生としてここに伺って、来春からは職員として手伝わせ
ていただいてもいいと母が申しました」
 その、来年の春が来た。北山先生は辞めた後自宅で開業するのだが、準備のた
めに、2ヶ月早く辞めたいということだったので、今月末で辞めることになり、
朝野さんが2月からくることになった。
 朝野さんは明るくて人なつこい。家には彼女の自宅から30分ぐらいかかって
歩いてくる。早く仕事を覚えたら開業したいと言う。そんな気持ちを持っている
彼女はやる気いっぱいである。
 彼女は3年ぐらいすると、おそらくいろんな手伝いができるだろう。

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