2009年5月30日土曜日

平岩弓枝さん

09年5月30日(土)午後10時晴れ
 今日、久しぶりに録画されたテレビドラマを味わった。人間を当たり前に描いたドラマだった。平岩弓枝さんの原作だった。名前を聞くと平岩弓枝さんは大変な小説家で、難しい文学かなと思ってこれまで読んでいなかったが、平岩さんの名前を聞いて数週前に彼女の講演をラジオで聞いていたので、思わずビデオをスタートしてもらっていた。人間くさい所をうまく描いて、しかもこっけいなところもあり、私にも面白かった。これを書いたら風呂に入り、その後、体の温もりを冷ます間、入会させてもらっている、ネット図書館があるが、ここに電話で繋いで彼女の本を検索してダウンして聞くのが今から楽しみである。

oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2009年5月28日木曜日

手と脚

09年5月28日(木)午前11時55分晴れ
 今日は朝から外を歩いた。風が少し強かったが、爽やかで気持ちが良い。ここに時々書いている南町を出て直ぐ左折して小回りコースを今日も歩いた。この左折した所が、道が左に傾いている。おそらく雨水をうまく側溝に落とし込むためのことだろう。この僅かな傾きが私にはかなり堪えていた。少し前まではこの場所にさしかかると、左の脚を上げるのにかなり無理をして歩いていたのが、最近はやや大変であっても困難というほどでは無くなった。今日は大分楽に歩けるようになってきたことに気づいて良かった。

oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2009年5月26日火曜日

若返らせたい

09年5月26日(火)午後10時晴れ
 今日のお天気はすがすがしかった。さて、鍼を習いに来る1人がもう3年を過ぎた。おとなしい人だが人の気持ちが良く分かり、話をしているとなんだか救われる。
 これは最近の記事の書き出しの部分である。この人の修了式をしたが、その時の来賓のことを今日は書きたいと思う。
 もう、この式を10年ぐらいやってきたが、何時も2人の鍼の関係者にご協力をお願いしてきた。先日、この方々と話していて、年の話になり、私は後で1人考えた。私も含めて年を増やしていっていることは間違いない。若くはならない。こう考えついてからは、この鍼を普及させようとしているこの仲間にも、若返りが今の内から必要ではないかと考えた。そこで私は私たちのブレーンをほぼ60才のお2人から4人に増やして、しかも今度のお2人は30代と40代の方にお願いした。2人とも快く引き受けていただいた。こうなったらブレーンだけではなくて、主催側も若返らなくてはならないだろう。幸い、今度修了した人は私が辞めてもうまくやってくれそうな人である。あと10年ぐらいかけて、世代交替ができるかどうかに、このグループが生き残るかどうかがかかっていると思えてならない。
 
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2009年5月18日月曜日

偶然

09年5月18日(月)午後10時晴れ
 今日、鍼を習いに来ている人が話をしていて、家の人が了解したので来年から職員の1人になれますと言う。これで、来年からも同じように2人のメンバーで家の仕事もできそうでありがたい。
 ところで、この人は鹿本郡の人であるが、来月は熊本市に引っ越すと言う。聞いてみると、私の家から歩いて30分の所に家が見つかったと言う。まったく不思議としか言いようがない。

oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2009年5月16日土曜日

修了証書 2

09年5月16日(土)午前8時曇り
 さて、鍼を習いに来る1人がもう3年を過ぎた。おとなしい人だが人の気持ちが良く分かり、話をしているとなんだか救われる。これはこのブログの一昨日の書き出しの部分である。この彼が昨日私に言った。
 「先日から考えていましたが、修了書をいただいた後も暫くは週1度伺っても良いですか。」
 実は、これからは貴方の好きにして、最も力を入れて欲しいのは開業であることを、彼に先週話していた。それでその返事をもらった訳である。私はもちろん了解した。これで話しているとなんだかホッとする。温かな彼ともう少し付き合うことができる。「今日は良かった」と昨日は思えてありがたかった。

oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2009年5月14日木曜日

短所は長所

09年5月14日(日)午後10時
晴れ
 今日のお天気はすがすがしかった。さて、鍼を習いに来る1人がもう3年を過ぎた。おとなしい人だが、人の気持ちがよく分かり、話をしているとなんだか救われる。これに比べて私自信は前向きなことは良い性質だとは思うが、ついつい相手に入ろうとしてしまう。自分のことをどうかするのではなくて、相手のことについて何かをするという我々の仕事は、この人の方が向いているような気がする。全て短所は長所、長所は短所でもあるので、彼のこの性質が良い方向に神様から用いられると良いなと思う。3年間学び終えたことを証明する物を彼に渡すのであるが、彼が12番目である。これからみんなで努力して、この紙きれが価値ある物となるようにしたいものである。
 
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2009年5月10日日曜日

最近の訓練

09年5月10日(日)午前10時晴れ
 今日は、最近の訓練の状況を書きたい。
 まず腕と手の方は4つある。
 1.手を自分の頭の耳の後につけて膝の外側から床に向かって肘を伸ばして下
ろす。
 2.掌を下に向けて台に置き、指を伸ばした状態から反らして指先を上に上げ
る。
 3.ベッドに仰向けになり、肘を曲げた状態から肘を伸ばして天井に向かって
手を突き上げる。
4.ブロックを持って、目の前の箱に入れる。
 この4つのうち、最も時間がかかるのはブロックである。
 この4番目の練習は自分の額の高さに箱を置いてからもう数週になるが、最近
やっと大変ではあってもあまり無理ではなくなってきた。
 次に脚の訓練は歩くだけにしている。これは現在50分外を歩いて、30分を
室内で歩いている。
 特に外を歩くのは速さが遅く、普通の人の数倍の時間をかけないと同じ距離を
歩けない。
  これらが今の訓練である。

oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2009年5月6日水曜日

宮崎 5

09年5月6日(水)午後10時晴れ
 昨日と一昨日は歩きに行く時期を失ってしまった。しかしなんだか歩き易くなった。また、手の訓練も順調である。物を持って自分の頭の耳の後に着ける。そしてその手を膝の上に戻す。これを5回やっていたが、昨日から10回に増やした。
 さて、今日も宮崎に行った話を書こう。数分で帰ってきた前さんに「分かった」と聞くと「民家も公民館にも誰もいないので、やっと通った車を止めて聞いたらわかったっですよ」
 家に入ると本人とお姉さんがいた。お姉さんは私を覚えていた。全国の弟子の集りで、私は見られていたらしい。しかし10年も年が離れているので話は挨拶しかしたことがない。九州の回覧テープで声は聞いていた。そんな人でも私のために1年の間電話をかけ続けてくれて、病み上がりの私を励ましてくれていたことは本当にありがたかった。同じ釜の飯というが、同じ所で、時期は違っても3年間も養われた二人は、昨日まで会っていた人のようにうち解けて昼の食事を取った。リクエストしていた通り、お姉さんが作ってくれたタケノコの煮しめと宮崎牛の焼いた物は、吸い込まれるように私のお腹に入った。
 「お姉さん、今日は美味しい物ありがとうございます」と私
 お姉さんはここから歩いて1時間ぐらいのところに住んでいて、今日は歩いて来て料理を作っても何ともないと言う。年齢は86才だそうだ。
 私が「元気ですね」というと、妹が私と私の家族に本当に良くするので、私も手伝うのは当たり前だとも思うが、そのことによって、私は元気を保っていて、本当にありがたいと思っているという。年寄りがおっしゃると実感がある。
 帰りは、14時半にスタートした。信仰のあつい先輩は、あなたとこうやって会えたのも神様のご計画の内だと言って喜んでいる。帰る間際、その先輩がいった。おそらく貴方に上げるようになっているのだろうと思いますが、昨日青森から林檎が沢山送ってきたので貴方にあげます。 運転の前さんと、「これで土産は買わなくていいね」と車中で話ながら帰路についた。14時56分飯干峠通過。ここで峠を越えて直ぐ生理現象で停車。もう五ヶ瀬町だと前さん。それにしても、大地への放水は生きていることを実感させてくれる。15時半、熊本県にはいる。楽しいドライブだった。今度は飯干峠のことを調べて行きたい。

oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2009年5月2日土曜日

宮崎 4

09年5月2日(土)午前12時 晴れ。
宮崎の先輩の家にお礼を申し上げに行っている話の途中までが前回であった。今日はその続きを書く。
やがてて9時になる頃に松橋町から来た218号線と出会う。これを左折。県境を越えて、宮崎県の五ケ瀬町に向かうつもりである。「ここはどの辺り」と聞くと既に矢部町を過ぎたと運転の前さん(仮名)が教えてくれる。9時22分、清和村の少し手前で立ちしょんべんをする。車外は高度が大分あるので寒いくらいで快適。車内に戻っても、晴れてはいないが窓からの風が気分を良くしてくれる。そしてナビに付いている音楽も心地良い。9時45分、立ち寄った店を出る。ここではパイをお土産に買った。この五ケ瀬町から右折する。その日はナビがあったので楽に行けたが、念のために知人に道を調べてもらっていた。それによると五ケ瀬町から右折したら15キロで飯干峠を越えてさらに約8キロだと言う。前もって電話で聞くと、携帯は通じると言う。さて、飯干峠を越えて下りになった。葛折りとまではいかないが、車はクネクネと曲がりながら下っていく。車酔い等関係ない私のはずであったが、まだ病み上がりで腹が揺すられることの訓練ができていないためか、少しムカツキが起った。窓を開けると何とか気分は持ち直した。ところで、この飯干峠である。後に先輩のところに着いてこの峠のことを話すと、冬は雪のために難所に数えられているところだと言う。昔はおそらくいろんな話があるのではなかろうか。ドラマティックな話の転回が好きな私としては、いつかこれを調べたいと思いながらドラマの空想に暫く耽っていると小さな集落に着いた。ナビも「目的地付近です」と言って、案内を終わってしまった。運転の前さんは「目的地は見えない」と言う。そうだ。私は携帯を取りだして先輩の番号を押した。事前の打ち合わせと違って電波が届かない。それを見ていた前さんは、車から降りていった。


oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2009年5月1日金曜日

宮崎 2

09年5月1日(金)午後10時
 晴れ。
  暫く書いていない。訳は特にない。しかし書こうと思ってフォルダを見ると去年のがあって面白い。脚の回復は去年よりももっと悪い状態だが、腕と手はほぼ去年の良い所までになっている。今年は夏に3回目の出血がないと面白くなりそうである。 さて先月の日曜に宮崎の先輩の所に行った。今回はそのところから書き始める。4月26日(日)午前8時出発。家の近くの浜線バイパスから矢部町(上益城郡)に向かう。空は曇っている。やがて9時になる頃に松橋町から来た218号線と出会う。これを左折。県境を越えて、宮崎の五ケ瀬町に向かうつもりである。 ここで、風呂に入る時刻になったので、続きは明日にしたい。
 
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp