2007年12月23日日曜日

キリ

 07年12月23日(日)午後3時
 今日、初めて紙の束(カレンダー)に、キリで穴を空けた。
数日前に届いた郵便物を処理していたら来年のカレンダーがあった。このブログ
を今書いているが、何を書くにもカレンダーがいる。脳の出血の後は、特にそれ
を感じるようになった。つまり、曜日や日にちを思い出し辛いのである。そこで、
これは良いと思い、テーブルの横にぶら下げることを思いついた。
 まず、キリを取り出しに行った。私の居る居間から廊下に出ると、1メートル
ほど行った所の左手に階段の裏側を利用した物入れがある。その扉を開ける。こ
れは私でも麻痺していない方の右手だけでできるので簡単である。次に、その物
入れの前にかがみ込む。これも、このブログで前に書いたように難なくできる。
そして、布の袋に入ったキリを取り出した。さて、これからが穴空けである。ま
ずキリの蓋を取る。これは仕事でも何時もやっているので、麻痺側の手でキリの
本体を持ち、良い方の右手で蓋を取り、うまく行った。
 次はカレンダーを台の上に置く。私は視力がないので、広いカレンダーではな
くて、一月分を1枚にした物、を使うので、来年のカレンダーは、12枚と説明
等で合わせて20枚ほどになっている。
 台に置いたカレンダーにキリを当てる。初めは麻痺側の手でカレンダーを押さ
えて、良い方の右手でキリを回していた。もっと早く穴を空けることは出来ない
かと両手でキリを持ち、手をすり合わせてキリを使おうとするが、なかなか左手
が協力してくれない。でも少しはキリが回転して穴は空き始めた。やがてキリの
先がカレンダーの裏から覗いた。それでカレンダーを台から持ち上げて立ててそ
れを左手で持ち、右手でキリを持ち、空けた穴を大きくした。そして少し穴の大
きさが増したので今度は和綴じようの紐でカレンダーを無事作業台にぶら下げる
ことができた。
 普通なら10分か15分でできる作業が40分ほどかかったが、大変喜んで作
業を終えることができた。

2007年12月16日日曜日

みかん

 07年12月16日(日)午後2時
 今日の昼みかんを食べた。美味しかったが去年の入院のことを思い出した。脳
の出血で入院したのであるが、その時は左手の麻痺のためにみかんがむけなくて、
介護の人に頼んでいた。それが、なんと一人でむいて食べることができた。
 私のここに書いているブログは、生き甲斐のことを書くために始めたものであ
った。しかし今は私の病気の回復の記録となっている。マーッそれでもかまわな
いが、先月数人の方から「読んでますよ」と言われたことを思い出すとありがたい
ような、もっと基本に返らなくてもいいのかなと考えたりしたものであった。

2007年12月14日金曜日

茶碗

 07年12月14日(金)午後10時
 数日前から、ご飯の茶碗を左手(悪い方の手)で持って食べる練習を始めた。
持つことそれは、あまり難しくはない。難しいのは、茶碗をテーブルに置く時で
ある。第1、指が茶碗から離れにくい。そのために、せっかく茶碗を台に置いた
のに、またそれを持ち上げようとしたり、茶碗が台の上で横に倒れようとしたり
する。
 元々私は箸使いがあまり得意ではないので、ご飯を掻き込もうとすることがあ
る。その時に、口のそばまで茶碗を挙げようとする。そして茶碗を丁度良い角度
にしなければならない。こんな難しさはあっても、何とかたべはじめている。そ
してほぼ、食べ終わっている。また一歩、仕事に近づいているようでありがたい。
 る
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2007年12月11日火曜日

屈んで歩く

 07年12月12日(火)午前9時
 今、物を床から取ろうとして、屈んだ姿勢から取った物を持って立ち上がって
見ると、無理なくたつことができた。
物に掴まらずにできたが、屈んで歩いてみると、まだ脚の力が弱く、倒れそうに
なる。これが倒れずに安定して歩けるようになると、日常にできる動作が増える
のではないかと想う。

2007年12月10日月曜日

実験

 07年12月10日(月)午前3時
 先ほど役2時間前に、風呂に入った。その時、いつものようにラジオを手に持
って行った。そしてその時に私は、ふと思いついて実験をした。ところで私は、
左が麻痺しているのであるが、その麻痺側の手でラジオを持っていた。
 そしてその握り方はラジオを縦長に持って、親指と他の3本の指とを対立させ
るようにしていた。
その実験とはラジオを持っている指の内、人差し指をできるだけラジオから離せ
るかを試すと言うものであった。結論からいうとうまくいった。人差し指は曲が
ったままではあったが、ラジオから完全に離れた。そのラジオとの距離はやく3
センチである。
 実験を思いついたのは次のようなことからである。
 ここ1週間ほど前から、私は本を壊して、その一部を悪い方の手で握ったり離
したりしていた。これは、パソコンに資料を読ませながら、パソコンに入力され
たデータが間違っていないかをチェックするためであった。
 そしてある日、左手を資料に乗せた時、いつもは曲がっていた左手の人差し指
が伸びていることに。気づいた。そして面白いことに、丁度その資料は、指の筋
肉のことを書いた物であった。それによると、人差し指と小指とは、他の指、つ
まり中指などとは違いその指を専用に動かせる筋があると言うことが書かれてい
た。
私は思った。考えた。 よし、最近人差し指が少し良いので試してやろう。 
 それで、上に書いた実験をすることにしたのであった。
 最近、脚のリハのメニューを減らして、その時間を手の、あるいは腕のリハビ
リに使っているのでその効き目が出始めたのかも知れない。
私は、この実験で、更に気分を良くして、来年は鍼が8割ぐらいできることをま
すます確信した。

2007年12月7日金曜日

階段

 07年12月6日(木)午後12時
 一昨日、初めて階段を普通に、つまり一つ置きに脚を交して上がることができ
た。
  その日もバスに乗った。最近は、そのバスにも積み残されなくなった。
 さて、バスから下りた。今日のリハビリは、モンゴルへの銀行からの送金とい
う頭の訓練である。
もちろん、自分では書いたりできないので、人に頼みながらの作業であるが、今
回はみごとそれに失敗して帰りの交通センターである。バス乗り場へ移動してい
る時に、生理的現象が現れた。尿意である。
この近くに無いかと聞くと、家人が会談の下にあると言う。
 私は頑張って下へ下りることにした。さて事が無事に終わり、満足を得た私は
会談を登り始めた。この時である。私は、ついうっかり、手すりの力を借りてで
はあるが、階段を一つ置きに左右の脚で上っている自分に気がついた。
 私は、今日もまた、嬉しい気持ちで帰宅できた。
 

2007年11月28日水曜日

テーブルに手を静かに置ける

 07年11月28日(水)午後7時
 今日初めて、テーブルの上に、左手をゆっくり静かに乗せることができた。昨
日、トイレットペーパーの事を書いたが、それと同じで、腕を宙に浮かせること
ができるので、静かに台の上に手を乗せられたのだと思う。
 この腕を浮かせられることは、三角筋を強めたためだろうと思う。これを始め
たころは、やっと玩具のブロックを持ち上げて台の上の箱に入れていたが、
最近は、やっとではなくて、少し頑張ればできるようになった。
これが進めば、腕を持ち上げて患者さんの背中に当てて、鍼ができるのだろうと、
今から楽しみである。

2007年11月27日火曜日

トイレットペーパー

 07年11月27日(火)午後6時
 今日、初めてトイレットペーパーの芯を左手で、左の後ろ側にあるちり箱に入
れることができた。
最近、手のリハビリに時間を使い、足は日に一度の散歩にした。その効果が出て
きたのか、腕を宙に浮かせて、思う方向に移動できる様になりつつある。
先週までは、腕を後ろに動かそうとすると、速く動いて、物を強くぶつけたり、
10糎でじでいいところを50糎動いたりして日常動作をするには不充分であっ
たが、最近腕の最も上部で、肩の直ぐ下にある腕を外に挙げる筋に三角筋と言う
のがあるが、それがやや太さを回復して、腕を宙に留められる時間が長くなりつ
つあるので、腕を使う動作がうまく行くようになっているのだろう。
早く鍼を普通に行うためにも、もっと頑張りたい。

2007年11月23日金曜日

ポケット

と 07年11月23日(金)午前9時
 今、悪い方の手(左)を、同じ側のズボンのポケットに入れることができた。
実は、数日前からできてはいたが、確実ではなかったので書かなかったが、もう
ほぼ毎回できるので書くことにした。
 最近は、ブロックを持って、少し高い台の上に箱を乗せてそれにブロックを入
れる練習を増やした。仕事を増やしたいためであるが、このように結果が出始め
て、心から面白く、ありがたい。
 
   

2007年11月19日月曜日

アイスクリーム

 07年11月18日(月)午前6時
 一昨日、初めてアイスクリームを全部食べる事ができた。
  その日もこのブログに書いたように、バスに乗った。又積み残されないよう
に今度はバスの出発するところに少し前から立って待っていた。そしてバスのこ
とはほぼうまく行った。その日の予定は(予定と言うほど大げさな物ではないが、
私にとっては大事業なので、このまま予定としておきたい)バスに乗って終点の
交通センターまで行き、アイスクリームのリハビリを公園で行って、またバスで
帰宅するということであった。
 さて、バスから下りた。交通センターである。今日は、バスの到着したところ
が乗り場ではなくて、ホームの最も端のところに下りた。ここからこの下りたホ
ームつまりcホームの反対側の端まで歩かなければならない。これは時間がかか
ると思ったが「マーッ歩け」と進み始めた。そして32番まで来た。私の家に帰
る乗り場である。これから公園まで行ってアイスクリームを食べて、バスで帰宅
すると16時には間に合わないかも知れない。そこでバス停で家人と会議を開い
て、アイスクリームリハビリは、この乗り場で行う事にした。初めて全部食べる
ことができてありがたかった。その食べるては11月の吹きさらしでやや冷たか
ったが、食べ終えた喜びで、心はかなり暖かかった。
 

2007年11月11日日曜日

バスに初めて乗った

 07年11月11日(日)午前9時
 昨日、初めてバスに乗った。まず、私の家からバス停まで歩いた。丁度良い頃
に着いて暫く待っているとバスは来た。椅子から立ち上がってバスに近づいてい
くとバスはスタートした。次を待つしかないと思っていると、なんとバスは数十
メートル行ったところで停まった。どなたかが積み残しがあることを話して下さ
った物と思う。しかし、速くは行けないし、と考えつつ歩いて行くと、バスは広
場になっている停留所までバックしてきた。感謝して乗った。下りる時にお礼を
申したが、運転手さんは「私が気づかなくてすみません」と言ってくれた。
 私の家は始発のバス停だし、今のところ下りるところも終点なので乗り降りが
大変良い。これからもっと練習して、途中の停留所でも簡単に乗り降りができる
ようになりたい。
 
 

2007年11月8日木曜日

南町お宮回りコース

 07年11月8日(木)午前7時
 昨夜は、歩く距離を少し伸ばした。このブログで以前に書いた南町があるが、
その私がかってに名付けた南町の南端からやや東へ行き、それから南へ向かい、
更に西へ行くと右手にお宮がある。そこから右折して北へ向かい最後は我が家へ
たどり着くコースである。つまり、みなみまちを通って、その西側にあるお宮を
含んだ散歩コースと言うことで、「南町お宮回りコース」と名付けた。
 時間は、50分ほどかかったが、例の通り、歩き方が遅いので、普通の人なら
10分か20分のコースではないかと思う。

2007年11月4日日曜日

ジャンパー

 07年11月4日(日)午後11時
 昨日から、ジャンバーのチャックを留められるようになった。しかし、まだ時
間がかかって大変な感じがする。速くようになりたい。根気よくやるしかない。
 

2007年11月1日木曜日

散歩の距離が増えた

 07年11月1日(木)午後11時
 今日、歩くところを換えた。これまでは、南町東回りコースが主であったが、
今日からは、それにやや南側を広げた、南町東南回りコースにした。時間はこれ
までが30分係っていたが
 今回は40分かかる。しかし、今度は歩くのが、いよいよ散歩らしくなってき
た。
 

2007年10月31日水曜日

左手を使う

 07年10月31日(水)
 私のリハビリのメニュウの中に、ブロックを掴んでそれを箱に入れると言うの
がある。これは、ブロックが、掴みやすいところにないとうまく掴めない。それ
で右の手で前もって左手が掴みやすいところに置いていたのを、最近は左手で持
てないのでおしやって、掴みやすいところにイドーさせてするようになった。
 このように、しだいに左手が使えるようになりつつあることがありがたい。
 
 
 

2007年10月29日月曜日

列車

 07年10月29日(月)午前12時
 昨日、水俣駅まで列車に乗った。列車の走り初めと終わりが歩くのがやや無理
した。腰と脚の弱さを感じた。目的地の福田農場は、のんびりした時間を過ごす
ことができて良かった。
 次に新しい体験がもう一つあった。それは、エスカレーターである。
駅にあったが、なんとか乗れた。もっとスムースに乗れるように練習が必要。

2007年10月27日土曜日

南町.txt

 07年10月27日(土)午後3時
  一昨日ややいつもよりも長く歩いた。夜の時間で気持ちよい温度だったため
か、思わず歩いていた。これからわそれらの歩いた場所を説明するのにそこいら
の地名を作る必要を感じるので、今回はその幾つかを書いて見たい。
 まず「南町」これは、私の家を出ると左手が南になる。この南の方へ行ったと
ころに新しく家が10軒ほど出来ている。これを私は「南町」と名付けた。ちょ
っとセンスがよさそうな雰囲気が漂う町である。
 次は「南町外東回りコース(みなみまちソトヒガシマワリコース)」
これは、南町の南端を外に出る。そして東へ向かう。水路に出るのでそこを左折。
つまり北へ行く。そのまま行くとバス道路にでてしまうので、少し手前で左折し
て西へ向かう。すると私の家から南町へ向かう道にぶつかる。これを右折して我
が家へ帰るこれが南町外東回りコースである。今の私の脚では30分かかる。そ
こを、一昨日、昨日、今日と三日間歩いて、更に歩けるようになった自分がとて
もありがたい。
 

2007年10月24日水曜日

外を歩いた量を、再び場所で表すように戻したい

 07年10月24日(水)午後8時
  以前に、歩いた量を家の軒数から、時間に返るようにかいたことがあったが、
  外を歩いた量を、歩く速さが速くなってうまく行かないので場所の名前を使
って表していくことに戻したい
 私の家から南の方に2軒行くと、12個の家が固まったところがある。これを
南町と名付ける。今日は、この南町を突っ切ってその南側に出て、3軒分歩いた。
次第に歩く距離が伸びていて、今度はほんとに歩けるようになっているようで本
当にありがたい。
 

2007年10月20日土曜日

外を歩くのが1軒増やした。

07年10月20日午前0時(土)
 感じとしては今日だが、昨日外を歩くのを1軒増やした。モンゴルの旅行が約
五日で、少し脚が強くったと思っていたので今日のが楽しみだった。旅行の疲れ
が少しあるにも関わらず歩く距離を増やす事ができたのは良かった。
 

2007年10月19日金曜日

5階のアパート

07年10月19日午後4時(金)
 今日、モンゴルから帰った。今度のモンゴル滞在は短いものだった。そのモン
ゴルでは、我が家で日常やっていた量よりも、多くの運動をした。その中でも最
も心にはっきじと残っていることがある。それはガンゾリグの親の家に行ったこ
とである。その家は、5階にあった。そこを頑張ってのぼったが、その家での話
が長くなり、ビールを飲んでやや脚が重くなったにも関わらず無事に下りも下り
ることが出来た。これもモンゴルで歩くのが多かったために少し脚が強くなって
いたためだろうと思った。
 

2007年10月11日木曜日

スリッパ

 07年10月11日午前8時
 一昨日ぐらいから時々やってみているが、室内でスリッパを履いてみている。
まだ、履く時には手すりに掴まってしなければ不安定である。最も難しいのは足の指がスリッパの先端まで入るように、下肢の力を抜きつつしかも足先をスリッパの先まで足指を突っ込む時である。スリッパにまず足を適当に突っ込む。ここまでは何時もうまく行く。次に問題のもっと指を突っ込むために足を持ち上げて足を前に動かす。うまくスリッパの表面を足の腹が滑って足先がスリッパの先に行かずにスリッパが前に動いてしまう。そこで、壁に向かってスリッパの先端を当て再度足をスリッパの上を先端に向かって滑らせる。やっとスリッパが足を持ち上げても落ちないぐらいに足底に嵌められる。そのときもまだ手すりがなないと体が倒れそうになるので、まだやや不便を感じるが、これもやがて手すりなしで出来るようになるのではないかとおもう。
 このように、探してみると少しずつまだ変わっていることがありがたい。
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2007年10月10日水曜日

前腕を持って仕事ができた。

 07年10月10日(水)午後11時
 昨日から、患者さんの手を支えて、右手で仕事ができた。最近、手首の骨折後の関節稼働行域制限をほぐす治療をしていて、左の前腕を立てた姿勢で左の手で持つことができた。

歩いた量を時間で表す。

 07年10月10日(水)午後4時
 最近ここ二日ぐらい前から歩く時に時間を計るようになった。20分歩いているが、普通の人が歩くと、おそらく7、8分だろう。
 装具を付けて歩いていた時よりも既に距離は延びている。今年の終わりには、ほんとの散歩をしたい。

2007年10月5日金曜日

点字のプリント物を和綴じする。

 07年10月5日(金)午後11時
 今日、初めて点字プリンタで打ち出した物を切れ目を外して、使えるよう に和綴じした。
 切れ目を裂く時よりも、裂いた後、紙を麻痺側の手で握り直す時が大変であっ た。しかし、これは大変良いリハビリだと思った。

予約カード

 07年10月5日(金)午後1時
 今日、初めて予約カードのチェックをすることができた。これは、予約カードのミニバインダからカードを取り外して、それを保存用の和綴じのファイルにカードを嵌めるという手の作業は以前にこのブログでも書いたことがあったように経験済みであった。しかし、今日の台の予約のチェックというのは、治療が終わった人の事のチェックのことで、治療が終わった人の整理である。つまり、終わった人は、その後次の予約が入っているか、又は電話をいただくことになっているかを調べ、未処理が無いかのチェックである。
  今年の5月頃に仕事の段取りをしてみたことがあったが、混乱して長くはできなかった。それが、最近はできそうな気がして来はじめた。来月当たり試してみたい。

2007年10月3日水曜日

完全に屈むことができた。

07年10月3日(火)午後3時
 何もつかまらないで屈むとややフラフラする。しかし、物に掴まって屈むと左
の股はやや張った感じはあるが完全に屈める。
これもありがたい。

2007年10月1日月曜日

点字プリンタ

 07年10月1日(月)午後14時
 昨日、初めて点字プリンタを動かす事ができた。次第に回復をしているのがありがたい。
 私のプリンタは、およそ1メートルの高さの箱に入っている。やたらに大きい。それは、点字の文字を打ち出すためにかなり大きな音がする。それで、音を消すために箱が大きい。プリンタそのものは高さが15センチ奥行きが20センチ横幅が50センチぐらいで、消音箱の最も上の段に乗せる。その一つ下の段に印刷用紙が入っている。更に下の段、つまり最も下の段が、プリントアウトされた紙が落ちてきてたまって行く所である。それで、プリントをするとなると、その箱の前で、立ったり屈んだり、両手を使って紙を上段にあるプリンタにセットしたりしなくてはならず、良いリハビリになるのである。
 さて、今日の話はこれで終わりだが、明日はどんな新しい事が起こるか、非常に楽しみである。

2007年9月27日木曜日

白衣の袖

 07年9月27日(木)午後9時
 昼過ぎに、仕事が一段落したので白衣を脱ごうとした。まず前側のボタンを外す。次は袖を脱げば終わりだが、その時に袖を紐で絞っている私は、手首が抜けにくいので肩から袖を抜く前に、右手の手首を抜く。詰まり、手が白衣の袖に入って仕舞う。そうして置けば肩から袖を抜く時に手首だけが引っかかって抜けなくなることを防げる。
 それで今日もまた無理かと思いつつ左手を振り回して右手を袖に手を入れようとしたがうまく行かないので袖を歯で噛み、袖を引っ張って手を袖に入れようとした。しかし今日も一度は試そうと左手で右の袖口をひっぱって見た。なんと袖は引っ張られてみごと手がそ袖の中に入った。
左の手の力つまり指でものを挟む力がついてきたのだ。ありがたい。

2007年9月26日水曜日

骨折後遺症

 07年9月26日(水)午後9時
 今日、初めて初診のカルテを書いた。
 脳出血以後鍼の出血への効き目を見直して以来、骨折の脳出血・脳梗塞等に対する鍼をやってみたい気持ちが強かったが、今日は初めて書いたカルテが骨折後遺症とは、まだ神に見放されてはいないという感じがした。 

踵に力が入るようになった。

 07年9月26日(水)午後8時
 昨日から、歩く時に、踵が床につき易くなった。それで、踵で床を踏ん張れる様になり、右足の前への振り出しが行い易くなった。まだ、外を歩く時はフラフラするが、これで力がついて来るともっと外を歩きやすくなるという感じがする。

 外を歩く距離を1軒増やして、4軒にした。

2007年9月24日月曜日

暑さが和らいだ

 07年9月24日(月)午後5時
 今日外に出たら、曇ってもいたが、外は暑さがだいぶ和らいでいた。そしていいことに、最近歩き方がやや楽になりつつある。
 二日前に歩く距離を1軒分増やしたが、それまではなかなか順調には増えなかった。しかし、今度リハの量を倍増したのが良かった様で、期待が持てそうである。
 早く秋の涼しい中を楽しく歩きたい。

2007年9月22日土曜日

外を歩くのを1軒増やした

 07年9月22日(土)午後8時
 今日から、外を歩く距離を1軒増やして、4軒にした。
 前回までは、隣を2軒としていたが、今回からは自分の家を入れないで数えることにした。
 今回はなかなか増えなかったが、1週前に乗ったタクシーの顔見知りの運転手さんがリハビリを倍にしたらと言うのでそのようにしてできたことなので、大変ありがたい。

2007年9月17日月曜日

湯船にお湯を入れることができた。

 07年9月18日(月)午後1時
 昨日、始めて風呂にお湯を入れる事ができた。これは、まだ、健康であった時のやり方までは行ってはいない。
 健康な時には、湯船の側に立ち、左の手で湯船の縁に手をつき、右手で風呂の底を簡単に洗い、ボタンを押してお湯を出した。
 しかし、昨日のやり方はこうであった。まず湯船の側に立つのは良いが、それからその姿勢で前屈みになり、しかも頭がかなり低くなるのは、怖くてできない。そこで湯船の側に膝立ちをしてやはり左手を湯船の縁につき、右手は風呂の底を洗った。ということは、風呂の洗い場に膝をつくので、洗い場が乾いていなければできない。でも、なんとかできたことは、大変ありがたかった。

2007年9月14日金曜日

モンゴル1

 07年9月14日午前6時50分
 昨日は、モンゴルでの通訳の人が決まった。名前は「トール」さん。
ほんとの発音は違うが、私には出来ないので、トールさんとしている。まだ息子と思っているが、その親とも親しくて、前回モンゴルに行った時にも通訳をしてもらっている。
 私は、まだ歩くのも普通どころか、やっと数十メートル歩ける程度であるが、今回は行けるなら行きたいと言う気持ちになったので、あえて行くことにした。

2007年9月11日火曜日

綿花

 07年9月11日午前9時
 快復状況
 昨日、初めてアルコール綿花(アルめん)を作ることができた。
これから秋になり、仕事が忙しくなると、このような仕事に関する作業でできる事が増えることが予想されて、面白くなりそうである。

2007年8月31日金曜日

ノートパソコン

   07年8月31日(金) 23時
 これまでは、病み上がりで、自分の机もはっきり場所が決まらず、パソコンも、 何度となく場所を変えながら過ごしてきた。
 ところが今日は、病気になる前の場所に、今使っている、ノートパソコンを置いて使い始めた。なんだか懐かしい感じがする。
 こうやって、次第に回復している事を感じることができて、ほんとにありがたい。

2007年8月27日月曜日

腕のリハビリを再び始める。

 07年8月27日(月)午後8時
 昨日から、腕のリハビリを軽く再び始めた。
鍼の仕事は順調に増えている。

2007年8月26日日曜日

アスナロ支援会会則

 07年8月26日(日)18時
 今日は、先日書いた、あすなろ支援会のチラシ配付の続きと、同じ会の会則の事を書いてみたい。
一昨日、例の場所で役員会をした。メンバーは、いつもの5名。
 例の通り、500円のお弁当を食べてから、会は始まった。まず、チラシの配付までは、メールで話し合って決めていたので、配る場所と、枚数とを、私に一任してもらった。
 次に、今日の主な議題である会則のことを話し合った。
 考え方は、我々の鍼法で開業した人を支援もするが、最も大事なことは、鍼をする人を支援することにより、我々がお互いに高めあうという事である。これを分かってもらうために、時間を使った。

 ここで、会則の目的の部分を引用して見る。

     「あすなろ支援会」会則
  (目的)
第3条 この会の目的は、次の通りとする。
  1.あすなろ鍼法の学習者の支援
  2.同鍼法による開業者への支援
  3.上記、1.及び2.を行うことにより、会員をお互いに高めあう。
 まだ、会は始まったばかりだが、これまでにも、知らない経験をした。
 一例を挙げると、チラシを道路で配ってもらうのにかなりのエネルギーがいるということも分かった。少しその事を書いて見たい。

 三社程電話で聞いてみた。まず初めの会社は誰も、電話に出なかった。二つ目は、「それは企画から立ち上げに成りますので……。」。あまり良い仕事では無いと思われたのかも知れないが、ここは、望みがなさそうだと諦めた。
 三つ目は
「明日お返事します。」
 翌日、ちゃんとかかってきた。
「チラシの件ですが、お客様がおっしゃった1万枚3人を使って、1週間ぐらいかかって配ると、およそ30万円かかります。」
 丁寧にも、こちらがそんなにはできないことを知ってるかのように、
「新聞販売店に頼まれてはいかがですか。5万円ぐらいで収まりますよ」と言ってくれた。
丁寧にお礼を言って電話を切った。
 このように、これからも、いろんな経験ができると思うと、ワクワクする。どうかこれをお読みの方も、会に入りませんか。
 このブログのコメントか、トラックバックで、貴方のメールアドレスを書いてください。
喜んで、返信します。
では、今後もいろんなチャレンジの話にご期待ください。

2007年8月23日木曜日

湯船3

  07年8月24日(木)20時45分
  
 一昨日に続いて3度目の湯船の話である。先ほど風呂に入った。湯船に入る時も、湯船から上がる時も、風呂の縁を持って、出入りができた。
  おそらく、明日からは、毎日出来るような感じがする。 
 

2007年8月22日水曜日

湯船2

 6月に、このブログに、湯船のことで書いている。手すりではなくて、風呂用に買った椅子に掴まって、湯船に入ることができた。大変嬉しいというようなことである。今回も同じようなことを書いてみたい。湯船から上がる時に湯船の縁を持って上がることができた。
 最近は、左の下肢のこわばりを取ろうと、いろいろ工夫したりしていたので、その成果もあったのやらと思ったりして、大変愉快である。

2007年8月21日火曜日

散らしの配付、役員会で決定

 07年8月21日(火)12時半
 あすなろ支援会のことである。昨日は、ホームページ作成から、散らしの配付に切り替えたところまで話がすすんだ。今日の午前中に、役員会を、今週の金曜日にしたいとメーリングリストで皆さんに尋ねた。
 そこでは、会則の決定をしたい。それができれば、会員になっていただいている皆さんに、会則を送りたい。そして、あすなろ通信等を通じて、役員と、会員の皆様との温度差が少なくなる事を計って行きたい。
 いつもお読みいただいていらっしゃるかたがた、ありがとうございます。

2007年8月20日月曜日

散らし配付

 07年8月20日(月)23時
 YSさんのホームページを作ろうとしていたが、本人の考えで取りやめになった。それで、みんなに諮ってこの秋から、散らし配付に切り替えることにした。
 そこで、先週、調査係の役員さんに、以下の調査をお願いした。
 1. 交通センター内での配付はできるか。
 2. その他、なにか広告のことに関して方法があるか

 結果はこうであった。
 1.については、だめ。
 2については、掲示板への広告ができる。

 そこで、数人で話し合い、支援会の役員さんに、散らしの配付を了解いただいて、交通センターの外で、散らしの配付をしようとした。そこでまず、北署に電話をした。
「もしもし、私は一般の者ですが、道路での散らしの配付は、そちらでか、どこかでかの許可が必要でしょうか。」「はい、どこでされますか」
「交通センターの直ぐ外までは決めていますが、具体的にはまだで、許可が必要と言うことが今分かりましたので、これから具体的に場所を決めたいと思います。」
「はいはい、では決まりましたら、これこれを用意して、申請をしてください」
「分かりました。お忙しいところを、ありがとうございました。」
 そして、今、メーリングリストで、散らし配付の諾をもらったところである。
 今日も、大分、面白く、ためになった一日であった。
 

2007年8月19日日曜日

感動の欽ちゃん

 8月19日(日)あと5分で23時。
 テレビで、欽ちゃんが、感動のひとときを演じている。普通ではできない、長距離を走って会場に到着した場面なので、欽ちゃんの到着の場面に感動したと書くべきかも知れない。24時間テレビの終わりのところなので、感動の強さが増す。この番組も、もう30回を数えると言う。これを見て私も、あすなろ支援会も頑張るぞと強く思わされた。
 支援会は、今動き初めている。数日前にこのブログで書いたように、YSさんの支援を初めているが、最初に取り組んだ、ホームページの作成は、相手の都合で辞めになった。それで次は、パンフレットの配付をしようとしている。ここで、少し、その活動の状況を分かっていただくために、活動に使っている「メーリングリスト」の一部を引用して見ることにしたい。

Subject: [asunaro-shienkai][00030] チラシの配布の件1
Date: Sun, 19 Aug 2007 13:37:05 +0900

皆さま、こんにちは。
調査係のきのちゃんです。

オウシさんと話を進めていました、治療院のチラシの配布の件で報告します。

交通センターのバス乗り場での配布は、無理でした。
理由は、バスに乗られるお客さまの妨げになるのと、チラシの内容が営業目的だからだそうです。

Subject: [asunaro-shienkai][00031] チラシの配布の件2
Date: Sun, 19 Aug 2007 13:59:14 +0900

けれど、バス乗り場の掲示板には貼り出せるようです。

百何十円×1日×枚数で料金は前払い。
申し込みは、交通センターホテルのすぐ近くにある事務所にするといいそうです。
ただ、掲示したい日の4日前に。

掲示板の場所は、4つのバス乗り場の合計20ヶ所の中のどこかになります。

以上、調査報告でした。

 今、二つのメールを引用したが、このように、パンフレットの配付に取り組んでいる。
 ここにでてきた「きのちゃん」と言うのは、会の役員の一人で、口数は少ないが、しっかりした分を書く。また、「オウシ」と言うのは、私のことである。
 このブログは、生き甲斐のことを書くために始めたものなので、今後も、このような支援会のことも取り上げて行きたい。これをお読みの方に感想や意見をお寄せいただければ幸いである。

アマチュア無線

昨日は、アマチュア無線の終わりの会に出かけた。8人ぐらいの小さな集まりであったが、親しく語り合えた、楽しい一時であった。集った人の年齢は、ほとんど60歳を過ぎていて、若い時のように、張り合ったり、しっかり議論したり等しなくて、和かな内に時間が最後まで流れていた。

会が始まったのは、20年前だと発表があった。携帯電話に押されて、ハム人口が減ってしまい、他の多くの会も次々と解散していると言う。

寂しい話も多い中に、私にとっていいこともあった。それは、最近力を入れている会、「あすなろ支援会」の会員を一人見つけることができたことである。

2007年8月18日土曜日

腕のリハビリを休む

皆さんこんにちは、オウシです。
3日ぐらい前から、腕のリハビリを休んでいます。

左の下顎の歯肉が腫れていて、肩が重くるしく動かしても痛いので、リハビリとストレッチを休んでいます。

こんなことは、初めてで、とっても辛い事ですが治まるまで仕方がないと諦めています。

歯茎の腫れと、肩の痛みは、鍼で毎日治療をしてもらっています。

そんな辛い中にあっても、今日は土曜日で治療室が休みで、だれもいなかったので、私がギックリ腰の鍼をしました。仕事ができる事がこんなにありがたいとは、やはり自分は恵まれていると、つくづく思いました。

2007年8月15日水曜日

紐を結ぶ

 今朝は、昨日の分の予約のカードが、まだ治療室に残っていた。いつもは、私
の居間の作業をする台の上に、紐で和綴じされて置いてある。それがまだ、治療
室の予約帳に綴じられていた。それで、昨日までなら家人に頼むところであるが、
 「よし、今日は自分でやって見よう」と思い、
居間に持って来てはめ込みを試みた。まず、一昨日までの予約カードが和綴じさ
れている紐をとく。
この紐は、直径3ミリぐらいの大きな物なので何とかとけた。そして、この紐に、
1枚のカードを通して一昨日の物と併せて、いよいよ紐を結ぶことになった。ま
ず一度結ぶ。次に蝶結びである。一回目は失敗した。やっと2回目で成功。

2007年8月14日火曜日

正座1

皆さん、こんにちはオウシ(才田覚)です。
 昨日は一昨日から二日間、親の家である山鹿市へ行ってきました。二日目に暇
に任せて私のリハビリをしました。その後、いろんなストレッチをしていたら、
正座ができることが分かりました。一日目の挨拶では正座ができなかったのに、
二日目の昨日は帰り際に正座で挨拶ができました。次第に日常動作が出来るよう
になっている事をまた強く感じたいち一日でした。

2007年8月11日土曜日

開業2

 昨日、支援会が、また動き始めた。それは、ホームページを作り始めたことで
ある。このブログで先日取り上げた、開業した人を支援することが、始まった。
昨日は、ホームページの作り手と、開業した人とが合って打ち合わせをする段取
りをした。
コノ活動がうまく続くように祈念したい。どうかこれをお読みの方も、応援して
いただきたい。そのためにも、コメントをこのブログに送っていただけませんか。
メールでのコメントなども歓迎します。
送り先
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

腹這い

 腹這いは、コノ病気になって以来、何時かたっせいしたいと思っていたことの
一つの到達点であった。それが、今日、ほぼできた。完全ではないかも知れない
が、一応できたことは 、大変喜ばしい。
 不完全なところは左の肩関節が外や上に広がらないために、腹這いの時に、腕
を伸ばして頭の方にやることができないことである。それで、腹這いになった時
の左の腕は左の頭の横にある。掌を下に向けて床に着けて、肘をやや曲げたじょ
うたいである。
 しかし、これだけ左の肩関節が開くと、寝返りなどはかなり楽に出来るように
なった。速く体が自由に動かせるようになり、何時かこのブログでも書いたよう
に、「あすなろ支援会」の仕事をどんどんやれるようになりたい。それがこのブ
ログのテーマの生き甲斐を追求することに繋がるのではないのかと思うからであ
る。

 
 

 
 
 
 

2007年8月8日水曜日

ももの後ろ側

今日の夕方、お茶を飲んでいて発見した。畳に下肢を伸ばして座っていて、体を
前に曲げようとして、左の大腿後側に突っ張りを感じた。これが、これまでいろ
んな動作がうまく行かなかった原因の一つだと思った。いままでは、下腿の後側
の突っ張りを取ることは心に留めていて、鍼の練習をする人にもほぐしてもらう
時に下腿を頼んでいたが、今度からは大腿も後側をほぐしてもらうことにしよう
と、今日思った。半年までとよく言うが、やがて1年になろうとしている今も、
新しい発見があることが心から嬉しい。

2007年8月7日火曜日

外を歩く0807

今日から、外を歩く時、我が家を入れないで3軒の終わりまで行く事にした。
十日ぐらい前に2軒半ぐらいにしていたので、装具を使っての歩きよりも距離が
伸びにくいが、それでも伸びて行き装具の時のように伸びが停まらなければ良い
と思う。

開業

皆さん、おはようございます、オウシです。
昨日、ysさんの開業のお祝いにでかけました。
イタリア風の料理でしたが、パスタが大変おいしく、歯ごたえと味が何ともいえ
ない素晴らしいものでした。
 さて、治療院は、不動産屋さんの事務所とロビーを共有している、
モダンな感じのスペースでした。
サーッ、これがうまく行くように「あすなろ支援会」では応援したいとおもって
いるのですが、
まずはホームページを作り、来春が勝負として、パンフレットの配付を考えてい
るのですが、うまく行く事をしっかり念じたいというところです。

2007年8月6日月曜日

後ろ歩き2

二日ぐらい前から、後ろ向きに歩く時、悪い方の左足が、やや上がる様になった。
それまでは、その足は上がらずにユカをこすって後ろに運ばれていた。布団を上
げやすくなったり、考えて見ると、下肢のバランスが良くなってきているのだと
思う。

2007年8月5日日曜日

ネクタイ

今日から、ネクタイを結ぶことを、リハビリに入れた。一回目の今日は結べたが、
ほぼ形にならずに失敗。
実話、今年の5月に一度やってみたが、自分では、力が足りずに、家人に引っ張
ってもらわなければならなかった。それに比べれば、力はあるので後は繰り返し
やれば、何とか出来そうな感じがする。
 実は、明日使うので、もう間に合わない。それで、結ばなくてもいい物を明日
買って来るようニ家人にこれを書く前に頼んだ。
 
 

布団2

 布団の上げ下ろしに自信がついた。数日前にも一度やったのであるが、その時
には何とかなった。それだけという感じがしていた。しかし、今日やってみた感
じでは、明日もまたやれそうと言う感じだった。だからといって明日から毎日は
たぶんしないとは思うが、とにかくいい気分には変わりない。
 

2007年8月1日水曜日

焼鳥屋さん070731

夕食後、ゴロッと横になった。「さて、今晩は何を書こうかな」考えているうち
に、「そうだ、焼鳥屋さんへ行こう」と突然思いついた。夕食でビールのリハビ
リを2杯やっているので足がやや重いがこれはしょうがない。なんと言っても、
焼き鳥のリハビリのためである。
 物入れの小さな引き出しを見ると千円札が数枚手にふれた。それをベッドの棚
に乗せる。つぎは、半袖のシャツを着る。家人に「焼鳥屋さんに行って来るね」
家人は、1秒考えて「はい」
 ややこしい話にならない前にタクシーに電話する。鞄に携帯と財布を入れる。
玄関へ行く。外へ出ると、丁度タクシーが来た。慌ててしかし危ないのでゆっく
り乗り込む。
 車は店の前に到着した。運転手さんにゆっくりしか動けない事を断って歩道に
下りる。二つある階段をゆっくり上がる。よそのおばちゃんが悪い方の腕をつか
んで歩くのを手伝ってくれる。少し痛いが、焼き鳥のために我慢してお礼をいい
ながら店に入る。止まり木の椅子に座り込む。思えば一年ぶりの焼き鳥である。
ナマビールと一緒に飲み込む。理由なくうまい。
 「アーッ、社会的機能復帰だ。」
 

2007年7月28日土曜日

アスナロ支援会070728

 今日は、私のリハビリの話から離れて、どちらかと言うと本来のこのブログの
目的である、生き甲斐の分野に成ると思うが、新しい会を作った話を書こうと思
う。
 さて、昨日は電車通りの便利の良い場所にある、アパートの7階にあつまった。
予定メンバーハ、5名。まず弁当が配られた。続いてビール。これで腹を満たし
た。ゆっくり食べていたら、開始予定時刻を過ぎた。そこで、私は話し始めた。
アスナロ方式の鍼を学んでいる人・いよいよ、開業する人。とにかく「アスナロ
方式」の鍼をする事に関係している人を支援する会を作ろう。集まった皆は、賛
成してくれた。そこでまず会費を決めた。そして次は、調査係・事務局係・技術
指導係などなど、そしてメンバーを理事ということにして、理事会は、年4回す
ることにした。後は、会員を作る必要がある。マーッ何はともあれ、会はできた。
私の頭のリハビリだと思い、頑張ってみる事にした。
 
 せ
 
 

2007年7月24日火曜日

洗い場070724

風呂の洗い場は、普通の人は気持ちいい所という感じがあると思うが、私の様に
片麻痺のある身では、危険な所で、滑ってはいけない所と言う気持ちが何時もあ
るのである。
 さて、その洗い場の話である。数日前から、手すりに掴まらずに歩ける様にな
った。それで、風呂の蓋を立ってできるようになった。それまでは、椅子に座っ
て脚を一歩蓋が置いてある方に手を伸ばして蓋をま持ち上げて風呂の上に置いて
いた。それが今度は立ったままで両手で蓋を持ち上げておくのだが左手のこわば
っている私は立った方が手首と肘が屈伸しやすく、楽になったのである。

2007年7月22日日曜日

外を歩く070712

 今日から、外を歩く量がやっと増えた。昨日まで隣まで歩いていたのを今日か
ら隣の隣までにした。増えなければどうしようかと思っていたので救われた。

2007年7月21日土曜日

短下肢装具070704

 短下肢装具を付けないで隣の家の前まで往復するようになったのは、先週の日
曜からであった。外を歩き始めたのは今年の4月上旬だった。やはり隣の家の前
までの往復から初めて、2ヶ月間でおよそ300メートルの往復というところま
で距離は延びた。しかし、それからが伸びが止まり、3週間過ぎても距離を増や
す気持ちにならないままになっていた。それで、もっと足に力を付けてみようと
重い、装具を外して歩いてみることにした。それからもう十日になった。既に2
週目に入っていることになる。今度もやはり距離は伸びないのだろうか。今週が
終わっても変化が見られなかったらきょりを伸ばすか別の事を考えるかをしなけ
ればならないと思っている。
 

2007年6月27日水曜日

湯船070625

二日前の月曜には、湯船へ入る時初めて手すりではなくて椅子の肘掛けを持って
入る事ができた。体の平行を保つのが、やや上手になったようで自分で大喜びし
た。
 まだ入院中、湯船には浸からなくてもお湯のシャワーで寒くない事を知ったの
で、退院後は脚が付いて洗い場でも滑りにくい椅子を買って毎日シャワーを楽し
んでいた。退院が昨年末だったが、凡そ3ヶ月経った今年の2月に、ふとしたこと
から手すりを持って湯船に入れることが分かって、ホンとに大喜びした。以来い
ろいろとやって見たが危なくて手すりを持たなくてはうまく入れないでいた。と
ころが、今日は思いがけなくも難なく入れて、生活の質がまたまた、ほんの少し
ではあっても高まったのである。何度も書くが大変ありがたい。
 

丸友会070624

3日程前の日曜には、丸遊会にでかけた。私はこの会の名前は「丸遊会」と思っ
ていたが、今日友人がスピーチの中で「丸友会」と言っていたので「アッそうか」
とも思った。
 もう会が始まってから20年程になると思うが、何かあると集まって、ガヤガ
ヤと楽しくやって遊んでいる会である。馴染みの寿司屋さんが会場だった。さて、
私もビールが大分すすんだ。お手洗いに行こうと部屋の出口で靴を履こうとして
いると、店のマスターが側に来て声をかけてくれた。「がんばんなっせよ」私が
「ありがとうございます」と答えると「俺もコぎゃんめにおおたっだけん……」
と言う。以下はその要訳である。
 マスターは、数年前に脳梗塞になり、舌が麻痺して話が出来なくなり、自分で
も味も分からないのではと決めていたが、ある日偶然味覚がある事を知り、「も
しかしたら自分もまた寿司屋ができるかも知れないと思いそれから懸命に頑張っ
て話ができるようになり、味見も出来るようになり、また寿司屋も続けていると
言う。」
 私も、鍼ができるという見通しがでてきたので毎日がっ頑張れる。大変ありが
たい。

2007年6月25日月曜日

丸友会070624

 今日は、丸遊会にでかけた。私はこの会の名前は「丸遊会」と思っていたが、
今日友人がスピーチの中で「丸友会」と言っていたので「アッそうか」とも思っ
た。
 もう会が始まってから20年程になると思うが、何かあると集まって、ガヤガ
ヤと楽しくやって遊んでいる会である。馴染みの寿司屋さんが会場だった。さて、
私もビールが大分すすんだ。お手洗いに行こうと部屋の出口で靴を履こうとして
いると、店のマスターが側に来て声をかけてくれた。「がんばんなっせよ」私が
「ありがとうございます」と答えると「俺もコぎゃんめにおおたっだけん……」
要約するとこんなかんじだろうか
 マスターは、数年前に脳梗塞になり、舌が麻痺して話が出来なくなり、自分で
も味も分からないのではと決めていたが、ある日偶然味覚がある事を知り、「も
しかしたら自分もまた寿司屋ができるかも知れないと思いそれから懸命に頑張っ
て話ができるようになり、味見も出来るようになり、また寿司屋も続けていると
言う。」
   

2007年6月23日土曜日

メニューの追加070613

 リハビリは、毎日続けているが、最近家の外を歩く時、確かに力は付いている
ように感じてはいるものの、フラフラする感じがなかなか取れない。それで最近
読んだ本を思い出して筆者が自分の体験を書いていらっしゃる中から、バランス
の事を書いてある所を再び読ませていただいた。その中の一つに「後ろ向きに歩
く」と言うのがあった。「バランスが良くなる」と書いてあったので、メニュー
に加えた。
 
 
  昨日、「熊本モンゴル協会」の総会があった。昨年が発会の集まりで、今回
が2回目である。私も、一人の青年を応援してきたことがあり、その青年と親し
くしていただいている熊本の市内に住まわれる方の紹介でモンゴル協会に入れて
いただくことになった。
 会員の皆さんは、どなたも前向きに夢や希望を追いかけていらっしゃるという
感じがした。総会の終わりに、ひとりづすスピーチをすることになった。それを
聞いていよいよ皆さんのプラス思考に感心して帰宅の車に乗った。昨日は珍しく
スガスガしい気分になることができた。これから私も更に、生き甲斐である鍼の
普及に頑張りたい。
 

 

弁当箱070611

    ブログの復活
 昨日自宅で鍼の勉強会をした。それはお昼をみんなでいただいていた時にわか
った。私の弁当箱が大分空荷なりかけた時、私はふと思いつき、その弁当箱をヒ
ョイト持ち上げてみた。箱はスムーズにうまくサーッとほぼ水平に持ち上がった。
横にいた人が良かったねと喜んでくれた。私はお思った。今度から食事の時には
皿を持ち上げて見よう。
 

不眠070609

    不眠
 私は、生来と言うのはやや大げさだろうか?とにかく中学校の頃から不眠があ
った。その後も、年に数回主に春と秋には苦しめられている
 先週も、一週間ぐらい不眠に襲われた。ようやくその不眠からほぼ逃れつつあ
るが、現在も不眠の余波に翻弄されている。一応夜は切れ切れであっても眠るこ
とは眠るようにはなってはいる。しかしその翌日がいけない。朝は一応ややボー
ットして起きるのは起きる。そして日中は懸命に眠らないように次々にいろんな
作業をこなす。たとえばリハビリのメニューをこなす等々である。そして夜がや
ってくる。私としては夜の
 9時頃に床に就くのが望みである。しかし実際には眠気が強くてその時間まで
には持たずに半分眠りながら、お風呂・夕食等等やりながら9時を迎えることに
なる。そして最悪のコースにならないことを祈りながら床に入る。その最悪と言
うのは、ちょっと眠って夜中から朝まで眠れず、当然翌日は強い眠気と戦いなが
らなんとか夜を迎えるということである。しかし今週は恵まれている。夜は何度
かは目覚めるものの、また眠り、一応必要な睡眠を取る事ができた。
 さて来週は必死に頑張って昼に活動を続けて、夜はうまく眠れるサイクルを作
りたいと願っている。

熊本モンゴル協会070601

昨日、「熊本モンゴル協会」の総会があった。昨年が発会の集まりで、今回が2
回目である。私も、一人の青年を応援してきたことがあり、その青年と親しくし
ていただいている熊本の市内に住まわれる方の紹介でモンゴル協会に入れていた
だくことになった。
 会員の皆さんは、どなたも前向きに夢や希望を追いかけていらっしゃるという
感じがした。総会の終わりに、ひとりづすスピーチをすることになった。それを
聞いていよいよ皆さんのプラス思考に感心して帰宅の車に乗った。昨日は珍しく
スガスガしい気分になることができた。これから私も更に、生き甲斐である鍼の
普及に頑張りたい。
 

 

快復の継続070601

昨日、自宅で鍼のまた新たなことに気づいた。それは、手を洗ってその手を拭こ
うとしていた時に分かったのであるが、手を拭いている間、ずっと左手を宙に浮
かせたままでいて辛く無いということだった。
 鍼をする時にコノ浮かせることは絶対必要な事なので、これに気づいた時の喜
びは大きかった。現在もこのように、快復し続けていることがたまらなくありが
たい。
 
  

リハビリのメニュー070522

    リハビリのメニュー
 ことしの3月病院でのリハビリが終わり、いよいよ自分でトレーニングをしな
くてはならなくなった。それからおよそ2ヶ月が過ぎた。ありがたいことに次第
に体が良い方に向かっている。
 そこで今日は、私のリハのメニュウをいくつか書いてみたい。それは、腕と脚
に関するものの大きく二つに分けることができる。
 まず腕に関するものではこんなものがある。私は退院後はベッドを使っている
が、そのベッドに上がって座りこむ。そして自分の前に孫の玩具のプラスティッ
ク性のブロックを10こほど置く。このベッドに置かれたブロックの一つを悪い
方の手で上から握りこみ、上に持ち上げそしてその手を前側に突き出し、ほぼ腕
が伸び切った所で指を開いてブロックを下の器に落とす。これを10個分つまり
10かい。今から二月ばかり前庭やっとできていたが、最近は、かなり楽にでき
るようになった。今度は、脚に関する物を書いてみたい。屋外で道路を歩く。こ
れは今年の4月から始めている。週に一度ぐらいずつ増やして隣の家の前までか
ら始めて最近は12分間の散歩になった。
 リハのメニューは現在20ぐらいあるが、毎日朝から夜まで他の作業をしてい
て退屈したらこのメニュウを一つ行う。たいていその日には最後までは行かない
このようにして私のリハは続いている。
 
  
 
 
 
 
 

2007年5月26日土曜日

ブログの復活

今回で何度目だろうか?私のブログは、昨年初復活しかけたもののぽしゃってしまっていた。おまけに、9月には入院までしてしまった。そして退院は年末の26日。以来、リハビリに励んでいる最中なので、その様子を書くことから復活を計って行きたい。