2008年5月30日金曜日

掃除機物語4

掃除機の充電が終わった。私は立ち上がって、それを手に持ってみた。普通の家庭によくある物より少し軽い。
さて、私が最もこれを使ってみたかったのが治療室である。この部屋に入った私はまず、六つある椅子を総てベッドや机の上に上げた。そして今度は、二つある踏み台も上げた。最後はこれも二つあるベッドのヒーターのコードも片づけた。
そしていよいよ、掃除機を床に置いた。
このスイッチは本体の側面にある。正式な名前は面倒なので調べてはいないが、以前にシーソースイッチというような呼び方を聞いたことがあった。
これを入りにする。「ピーコ」と音はした。しかしまだ動かない。
そこで、次に本体上面にある三つの押しボタンの内の一つを押した、この三つのスイッチは、それぞれ細かな役割分担があるようではあるが、これも面倒なので、詳しくは将来調べることにしてとにかく今は適当に一つのボタンを押した。すると彼はしっかりと動き出した。
その動き方はどうも真っ直ぐではなくて、ある半径の一部、つまり一定の大きさの弧を描いて動くようである。
掃除機は、順調に10畳より少し狭い部屋をあちこちと移動しながら活動を続けている。それを見ながら私は考えた。今は掃除の前に私がやったように、椅子をそうじの前後に人が動かしたりしなくてはならないが、やがてそれも掃除機がするようになるだろう。
家の者は、この掃除機の話をする時によく言う。
「もっと小さくて、いろんな物の間に入っていけるのがあるといいね」
ところで私は、何故かは分からないが、このように動いていたり、作業がしかも機械的に行われているのを観察することがすきである。

2008年5月27日火曜日

掃除機物語3

今日は今、この物語を書きながら仕事の部屋で、この主人公である掃除機を動かしている。
もう数回目なのでほとんど順調にへやの掃除が進んでいる。
1回目はこうではなかった。
話を前回の終わり、つまりこの掃除機が届いて箱を開けたところに戻そう。
幾つかの付属品や、プリントされた説明書が入っていたことは以前にも書いた。
私はこれらを見て、次の様に考えた。
多機能で複雑な最近の道具や、機械類の例に、この掃除機もきっと漏れていないであろうから、詳しくは困った時に調べることにして、まずは最も簡単にこの掃除機を動かせる、最低限の知識を得ることにしよう。
そこでおおげさにいうと、家人の目を借りて、箱の中の調査を開始した。
まず、リモコンスイッチが見つかった。これは使わないと決めて、仕舞い込んだ。
次に見つかったのは「疑似壁」である。
小さな円い柱状をしている。
これを置いてそこから先には、掃除機がいかないようにできるようであるが、これもお倉入りにした。
次のやや大きな物は、充電器であった。これは掃除機の電力が減って来たら、自分でこの充電器に近寄って行き、一人で充電を行うという優れ物ぶりを発揮するための部品である。
これは最も魅力ある付属品ではあるが、説明書が込み入って面倒なので学習することを保留することにしてしまった。
その代わり充電は、私の最も得意な手動で行うことになりそうである。
ここまで、決して遊びではない、家の大切な仕事をするための重要な調査を進めてきて、非常に真面目な私も、少し疲れていることに気がついた。
それで私は、今日の調査を終わりにして、明日仕事の部屋の掃除という大切なことのために体を休めておこうと、ゆっくりビールを飲むことにした。
明日はいよいよ仕事の部屋を掃除機が動き回るであろう。

2008年5月24日土曜日

掃除機物語2

 08年5月24日(土)午前10時
掃除機が家にやってきた。
その掃除機が届くまでに私が待ちかねて、「早く来んかな」を繰り返す度に「一カ月ぐらいかかるそうよ」と家内は答えていた。
その掃除機の箱をすぐ開けてみる気になった私は、家の居間兼食堂に置かれている、コタツのそばに座り込んだ。
 箱を開けると直径およそ25センチぐらいの丸い掃除機が出てきた。後は説明のためのプリント物があった。そして他に、幾つかの付属品がある。最近の品物は、複雑で多機能である。この掃除機も、説明書を読んでもらっても、私にはどこまで理解のための我慢が出来るかは分からないが、ホースもない。そしてリモコンのスイッチがあるこの機械は、説明書に取り組むしかなさそうである。

2008年5月23日金曜日

掃除機物語1

今から、1ヵ月ぐらい前のことである。
私が、夕方、その日の仕事を終えて居間に置かれているテレビの前を通り過ぎようとした時それは聞こえた。
「一人で動いて部屋を掃除します。」
また、このようなこともきこえた。
「電池がなくなったら、ひとりで充電して、さらに掃除を続けます。」
私はこれを聞いて、「これは面白い。よし、これを手にいれよう。」
と思った。それから私は、家人に注文をたのんで、後はその掃除機が届くのをひたすらまった。

2008年5月19日月曜日

歩調

08年5月19日(月)午前8時
 今朝歩く練習をした。その感じが何時もと違っていた。いつもは、左の足が弱いためか、左足を床に着けて右の足を前に出す時間が左のそれと比べると少し長いような気がしていた。それが今日は短いというか、左のその長さに近づいて来たような感じがした。
 つまり極端にいうと左右の足で歩くときにこれまでは、1と2、1と2。このように歩いていたのに今日の感じのそれは、1,2、1,2となってきた。
これは、測定していなくて感覚で書いているが、少し左の足が強くなった事には違いないように思える。

2008年5月16日金曜日

20分

08年5月16日(金)午前11時半
 昨日ぐらいから、歩くのが、20分ぐらいでできるのが固定化してきた。普通の人なら、10分で歩く距離である。
今、散歩から帰ってこれを書いているが、その散歩の帰り道話してきたことであるが、今時間は20分になったが、左の脚にまだ思い切って力を入れにくいところがあるので、もう少し安心して踏ん張れるようになったら、歩く距離を延ばそうか。
 もうこの距離にしてから半年ぐらいになるが、歩く中身は変わっても、距離やコースはほとんど変わっていない。今、自分の感覚で、脚の力は7割と思っているが、これが思い切って脚に体重をかけられて、歩く速さが普通の人の1倍半ぐらいになったら、脚の力は、8割と言って良いのではなかろうか。今年の秋に、脚も腕も8割に快復すると願っているが、脚は、確実になってきた。後は腕のことをしっかりせねばならない。脚は楽しくできるが、手の方は難しく大変であるが、私はありがたいことに、仕事が三度の飯よりも好きなので、仕事をするため
には手の快復が必要なので、多分達成できるのではなかろうか。

2008年5月15日木曜日

ワゴン

08年5月15日(木)午前12時
 今日の午前中に、大変仕事が忙しかった私は、復活と言っているが、次第に仕事が増えつつある。
 今日もあわただしくやっていると、つい左手の動かないのを忘れて、左手で治療用のワゴンを引っ張った。スムーズではないので、左手の麻痺を思い出して、左手を使わなくてはと思い、改めてそのワゴンを引っ張ってみた。掴み方がおかしいだけで、動くのはキャスターがついているので簡単であった。
 これまで仕事の時は、そしてワゴンを引っ張る時には、左手は使わないと心が決めていたようである。これからは、ワゴンを動かすことは左手も使うことにしたい。

下記は、メールアドレスです。
 
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年5月14日水曜日

予定表

08年5月14日(水)午後12時
 携帯でメールを練習して、何とか書けるようになった。
 次は、予定を書き込めるようになりたい。
 なにしろ歩くのが2時間なので、そのうち外へ行くのが30分としても、1時
間半も携帯の練習ができる。
 ある日、歩きながら携帯のメニューを見ていた。6番に予定表があった。な
んと私が病気になる前にしていた、予定を書いたノートの様なことが、この携帯
でできそうである。
 やってみると大変良い。予定の時刻が来たら、「予定の時間です」と、知らせ
てくれるので、忘れることがない。
  これを使えるようになってから、携帯を手離せなくなった。
 話は変わるが、メールでこのブログはアップしている。その書名の仕方を最
近ならった。
それでこれからは、このブログの最後に私のメールアドレスを書くことにした。
これを読んで下さってる方で、何かありましたらメールください。
 
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年5月9日金曜日

08年5月9日(金)午前9時
 一昨日、庭を珍しく歩いてみた。まだおぼつかない歩き方だが、もう不安はな
い。
昨年は庭を歩くのはやっとで、必死に行うという状態であった。懐かし
いので昨年の7月の記事をここに貼ってみたい。

 一昨日は友人宅へ出かけた。仕事に使う健康調査票の相談がその用件であった。
さて、1時間ぐらいで帰宅することができた。サアーッ、ビールを飲みながら昼
飯を食おうかと勢いよく玄関のベルを鳴らした。誰も出てこない。もう一度試み
た。しかし、結果は同じで玄関はすましている。さては家人はどこかへ出かけた
なとガッカリした。どう考えても玄関は開かない。鍵は病み上がりで必要なか
ったので、困ったことに大切に家の中に仕舞っている。退院以来、外は前の道
路など足場の良い所しか歩いていない私は、悩んだ。予備の鍵は家の裏、つまり
足場の我が家で最も悪い所にある。今朝は一人で駐車場にある車まで行けたと
喜んでいたのに、やはり厳しい現実を見せつけられたような感じがしてきた。そ
れらを考えて時間が5分ぐらい過ぎた。ここは、考えるよりも行動である。
 まず鞄から白い杖を出した。これは視力のない人が使うためのもので、昆虫の
触覚のような物で、体重はかけられないが足下を探るのには、そのための道
具なのでバッチリである。まず、ゆっくりと後ろを向いた。つまり、ドアを背に
して道路を向いた訳である。ポーチの前の端まで歩く。今鞄から出したばかりの
杖を使って足下の下り階段を探す。見つかったので下りないで右の横へ移動する。
数歩の所で右前に手を出して見ると手すりが触れた。ここで杖を左手に持ち替え
て右の手で手すりを持つ。そして階段を2段下りる。これで家の前の道路に出た
訳である。ここは舗装してあるので足場は良い。それで安心して左の方へ道路を
歩く。7、8メートル行った所で左へ曲がる。ここは、小砂利が敷かれた駐車場
で、ここまでは何度となく歩いて来ていて心配はしなくて良い所である。これか
らがしだいに足場が怪しくなるところである。しかしここまで来てやめるのも悔
しくてしたくない。それでおそるおそる再びゆっくり前進する。数メートルの
所で駐車場の奥の生け垣にぶつかる。ここにあまり近づくと足下が良くないので
一定の距離を保ちながら左へ横移動する。垣根が終わった所で再び前へ
前進する。ここいらが足場が悪い所で最高に緊張する場面であるが、
ゆっくりしっかり頑張って鍵を探し出した時には、大きな深い安堵の息が出た。
この後家の中に入って飲んだビールがおいしかったのは言うまでもない。
このように、次第に自分でできる動作が増えていっていることは大変ありがたい。

 これが昨年の夏の記事である。話を今年に戻そう。
 今日の冒頭にある一昨日から毎日、一区切りしたら外に出て、庭やバス道路側
の歩道を歩いたりするようになった。

2008年5月5日月曜日

サポーター

08年5月5日(月)午後4時
 今日、朝起きて、例の通り歩こうと居間から仕事の部屋に行った。歩き始めて
みると、左の足首が何となくおかしい。物足りないような、妙な感じがする。見
ると、サポーターを着けていない。暫く歩いて考えた。
 「もう、サポーターははずそう」
今日から室内では、この左の足首のサポーターははずすことにした。
 これを着けるようになったのは、友人の薦めからであった。昨年の春、佐賀の
友人が、ひょんなことから私の家を尋ねてくれてからであった。
 そのころの私は、まだ歩けるか歩けないかの段階であった。
 私が脳の病になっていることを知らなかった友人は驚いた。そして私から短下
肢装具を使っている事を聞いて、その友人は、室内ではサポーターを使うように
勧めてくれた。そして、その翌日、サポーターを買ってきた。左手が僅かしか使
えないことと、そのサポーターが筒状の物をただはめるだけでなくて、マジック
テープがついた短いベルトの様な物をいくつも留める必要があるやり方のために、
私は、その装着に時間がかかった。しかし、その装着にも馴れ、私にとって、こ
のサポーターは、無くてはならない物になっていた。
 友人が言うのには、このサポーターだと足の筋を使うので、快復が早いという
ことであった。
 そしてそのことがあった昨年の春が終わり、夏からは、外でも装具を使うのを
やめて、このサポーターで外にも行くようになった。
 それから1年、室内ではこのサポーターを使うことはやめることにしたが、外
では、もう暫くお世話にならなくてはならないだろう。
 

2008年5月3日土曜日

メール2

08年5月3日(土)午後1時
 昨日、メールが携帯に届いた。漢字の違いを音声で区別ができなかった一昨
年までは携帯のメールは使っていなかった私であるが、それが昨年から漢字
の入力の時にその候補を音声で読み上げてくれるようになったので、携帯を使
うようになった。私は廊下と呼んでいるが、室内での歩く練習の時、携帯でメー
ルの処理をしたりしている。
 これは4月の29日に書いたメールと言う記事の冒頭の部分である。この
人から今日は快いメールがまた届いた。今回はそのことを書いてみたい。
 今日、目が覚めたのは6時過ぎであった。
「よし、目さましに歩こう」
 私は顔も洗わずに、仕事の部屋へ行った。まず北側の窓を開ける。モンゴルで
教えられた富士山の方を向いて立つ。モンゴルの息子と私が今日も元気で一日を
始められた事を感謝する。
 そして、この部屋の中で歩く練習を始めた。今日の注意点は足を踏ん張る
時に、その直ぐ後にお尻の筋を使って体を前にやれるように足の底で床を踏
み続けて力をお尻の筋に入れる努力をすることである。
 さて、歩き始めた。携帯を右の手に持つ。終了ボタンを押す。次にマルチカー
ソルボタンの上を押して、メールが届いているかを見る。3件あった。その中の
一つに、先ほどこの文の冒頭に書いた人からのメールがあった。
 以下、それを差し支えない程度に貼り付けてみる。

今晩は。○○さんが、あなたにメールを送ったとき、「ブログを見てください」
との返事がきたけどと、いわれたので、彼女にパソメールで送りました。これか
らも送ろうと思いますけどよろしいでしょうか?

説明を省いているので、ちょっと分かりにくいところもあるが、
メールでブログの内容を読みたい人に送っても良いかというメールである。

なんとありがたいメールである。
 私は、当然、直ぐお願いしますと返信した。