09年12月05日(土)午前9時
数日前に、朝早く目が覚めてラジオをつけた。将棋で有名な有吉さんが話をし
ていた。自分の将棋を教わったことの話である。
よく修行した人の話に出てくることであるが、彼もそのようなことを話してい
た。
有吉さんの先生は、将棋のことと関係のない人も名前を知っている、大山とい
う人である。
有吉さんは、その大山先生の家に内弟子として入れてもらっていた。その大山
先生は家が広島にあった。しかし先生は、よく東京や大阪に試合ででかけていて、
先生の家の仕事を手伝うことが多かった。それで有吉さんは将棋を先生から何時
も教えてもらえる物だと思って弟子になったのだが、先生に直接教えてもらった
のは3回ぐらいだったと言う。そしてほとんど毎日家業の茣蓙の製造の手伝いを
したと言う。しかし先生は、教えるところはちゃんと言ってくださったと言う。
例えば先生は
「有吉は守るより攻めた方がよいよ」等とおっしゃっていただいたことがあった
が、と彼は何十年か前のことだのに、未だにそれが残っているのだろう。印象深
い言い方で話をしていた。
私は、この話を聴きながら、落語家の話を思い出した。毎日毎日、落語の稽古
はしてもらえないで、家の子守や洗濯、掃除ばかりであり、それを3年もしたと
言う。
なぜこのようなやり方で落語や将棋やその他の修行ができるのだろうか?
私には、はっきりとした答えは分らない。しかし思うことはある。
先ず、稽古や練習はする時はある。弟子仲間やその他の人と稽古はする。そし
て、先生や兄弟子の心構えや、人との応対のしかたを学ぶこの繰り返しで、魚屋
さんの弟子は魚屋さんらしくなり、落語家の弟子は落語家らしくなり、踊りの弟
子も舞踊家らしくなるのではないのだろうか
正に、落語家やその他の人の家に住まわせてもらって、先生の生活の様子、その
仕事への心構え、その人の仕事に対する姿勢などを見る。これが修行なのかも知
れない。
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp
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