2008年12月28日日曜日

あすなろ支援会

 2008年12月28日(日)午後12時
 やがて今年も終わろうとしている。私は今月から仕事を日に2,3人するようになり、最近は時々4,5人するようになった。今日、アスナロ会のメンバーの一人が遊びに来た。昨年開業して、次第に仕事が増えつつある人である。臨床を暫くやっている彼に話をすると面白い。また、彼の話も面白い。こんなあすなろ会の仲間がもっと増えるように、来年は更に努力したい。これを読んでいてくださった皆様ありがとうございます。来年も鍼がもっと世間に浸透するように頑張りますので、どうか会がうまく行くためのアイデアをお寄せください。それでは皆様良いお年をお迎え下さい。 

oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年12月23日火曜日

生き方

 2008年12月23日(火)午前12時
 天気が少し良い。右手のガラスごしにお日様が少し暖かい。今日は休みの日なので朝飯を9時過ぎに食べた。その時にドラマがあった。お役所からのお知らせ風の時間のドラマのような事をテレビでは言っているのであまり面白くないかとも思ったが、私も家内もチャンネルを変えようとはどちらも言い出さなかった。見ていると面白い。どんなところが面白いかというと次のようなことである。何か年寄りの人権を大切にしようというドラマであったが、若者というか、普通の世間でいう常識的な大人と、いわゆるお年寄り、それに孫たちの暮らしが描かれている。我々の暮らしは正義の味方と完全に悪人との戦いのドラマとは違って、孫も年寄りも常識的な大人たちも、全く良い人と完全な悪人はいない。ある事件があった場合、年寄りから見た場合と中年の大人から見た場合とではそれに対する善し悪しが変わってくる。これをうまく描いたドラマであった。これからも、小説、演劇を楽しんで暮らしながら、自分の生き方も考えて行きたい。
 
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年12月18日木曜日

やる気

 2008年12月18日(木)午前10時
 天気が良い。今これを書いている右手のガラスごしに、お日様が暖かい。以前は一階で暮らしていたので、天気予報を見ていても仕事のお喋りに使える程度にしか考えてはいなかったが、最近は違う。お天気だと昼間はオイルヒーターのスイッチを切ることができる。
これが昨日書いていたブログの途中までである。今日も天気が良く、朝からカーテンを開けるとガラス越しのお日様! 今日も仕事を今から二人する予定。やる気を出して頑張りたい。

oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年12月14日日曜日

オンリーワン

 2008年12月14日(日)午前11時半
 今朝、ご飯の後にテレビをつけた。大変な人が出ていた。そのゲストをキャスターと思われる人がラーメン店に連れて行き、いろいろと食べながら話を聞いたりしている。その人の評判は生まれながらの毒舌家。クラシックのバイオリンは本物の腕、という紹介があった。 なるほど話を聞いているとすごい。確かに話はストレートである。しかしずれている感じがしない。聞いたことには正面からちゃんと答えている。最近は話をしていて、言葉のキャッチボールがうまくできない人が増えているとよく言われる。そんなことから考えてもまともな人であった。最後の極めつけは、バイオリンの演奏であった。その人が主催する演奏家たちのグループ12名によるもので、短かったが素晴らしいプレイであった。クラシックをみんなに手軽に楽しんでもらいたいと言うその人のポリシーの一面をうかがい知ることのできる、トークの一部を聞くことができた。本当に楽しんで仕事をしているというより、バイオリンを通じて、音楽の楽しさを味わっているという感じが出ていた。どの仕事もどの人生も、楽しみながらやっていく、よく言われるオンリーワンの人でもあったが、私はこの人をナンバーワンと言いたくなった。この人は、高嶋ちさ子という人であった。

oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年12月12日金曜日

楽しみ

 2008年12月12日(金)午後11時
 今日は患者さんを4人させていただいた。少しずつ鍼ができるようになっていることがありがたい。次に毎週金曜は、鍼を勉強に来ている人が二人ある。その内の一人は普通に週2回来ていて学習が順調に進み、来年は修了式をしようかと思っていてまったく問題はない。そしてもう一人の人は、指がしっかりしていて大変良い感じの刺激をする。将来どんな鍼をするようになるかが大変楽しみである。

oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年12月9日火曜日

忘年会

 2008年12月9日(火)午後9時
 一昨日は私の家で忘年会をした。鍼の勉強会を私は勝手に「あすなろ会」と呼んでいる。 このあすなろ会の忘年会である。 毎年は喫茶店を使わせてもらって行っているのだが、今年は先約があると言われて会場がなくなり、家でやることになった。 どんどんしゃべる人、グイグイ飲む人、いろいろで面白い。私はウーロン茶でやっていたが、相手が酔っていると話がこちらも楽しくなって面白い。 最後に近くなったころ、一人の人が私に言った。「この時代は強く生きて行かなくてはならなくなった。それで、この勉強会でも強く勝ち抜く人を作らんといかんね。」私は共に生きる人が好きであるが、勝とうと思えば勝てる人を作ることもありだな~と思った。 さぁ、来年はどうなるだろう。 
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年12月6日土曜日

コメントのお陰で

 2008年12月6日(土)午前11時半
  今週は、日に3人ぐらい仕事をさせてもらってありがたかった。今日は土曜日で、貯まったパソの仕事ができそうである。朝飯の時に家内と話して、映画にも行きたいが、今日は家で貯まったパソの仕事をすることにした。それで今パソに向かってこのブログを書いている。右の窓から日差しが暖かい。 ところで昨日、支援会のメンバーの人と話していたら、同じ会員の三重県の人がこのブログを見てくれたことを話してくれた。次第に読んでくれる方が増えてありがたい。三重県のふなさん(仮名)、大分へ行っても幸せに暮らしながら、このブログをどうか読んで下さい。 次に、また別の人から、ブログにコメントをいただいた。まず、それを貼ってから話を少し書きたい

こんばんは今日お世話になりましたサッカー選手志望のK・Sです。先生は好きなことをやれている今はほんとうに幸せと言ってたのですが私も本当にそう思います。私も先生くらいの年齢になった時に好きなことやって幸せだと感じていられるようになりたいです。2008/12/04 22:47

 これがコメントである。この方はサッカーの選手なので、明日のサッカーの試合は頑張ってください、とまずブログで応援しておこう。

サッカーが好きで好きでたまらない感じが話していて伝わってきました。 今は厳しい世の中の話をよく聞きます。しかし、辛い辛いと言っているばかりではなくて、我々一人一人が楽しんで生きて行くことをしなければ、楽しい生活にはならないと思います。

 これからは、前回のブログと同じ最後です。私にとって、一人で、無から有を作るのは難しいのですが、このようにコメントをいただくと、お互いに全人格的な触れあいができて、話が進み、無から有を作り出すこともできそうです。このようなことなので、これからもコメントを時間がある時にはお願いします。
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年12月1日月曜日

私は貝になりたい 3

 2008年12月1日(月)午前8時
  12月になった。仕事を始めて約1ヶ月になる。現在はまだ日に一人か二人しかできない。来春にはかなりできるようになっていると思う。 さて、ブログにコメントをいただいた。まず、それを貼ってから話を少し書きたい
コメント こんばんは!M.Sです。良い映画を見られましたね!私は、もう一度生まれたら、何にと聞かれたら、たぶん、空を飛べる鳥になりたいです。 この映画のように、ひどい一生をおくるのは、修行なのでしょうか! 生きることや、死ぬことや、いろんな事を、深く考えられる人間というのも、捨てたものではないと思います。了

 これがコメントである。このコメントに次の事が書かれている。 「この映画のように、ひどい一生をおくるのは、修行なのでしょうか!」 私もそう思って暮らす方が、簡単な(早わかり)様な気がして、仮にそのように信じることにしています。 この、我々は何のために生きるのか、我々は、どこから来て、どこに行くのかに繋がる問題を私は1995年ぐらいから意識して考えて暮らすようになりました。この問題を見つめて暮らすようになりました。それのために、このブログも、生甲斐をテーマにしています。そのことはテーマですから、次第に、これからも書いて行きたいと思います。  我々は、一人で、無から有を作るのは難しいのですが、このようにコメントをいただくと、お互いに全人格的な触れあいができて、話が進み、無から有を作り出すこともできそうです。 このようなことなので、これからもコメントを時間がある時にはお願いします。
 
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年11月27日木曜日

私は貝になりたい 2

 2008年11月27日(木)午前7時
 良く眠れたので、今朝は気持ちが良い。 「今日も、訓練を頑張って、早く全ての患者さんの鍼ができるようになるぞ」と思う さて、前回のブログの最後は、もし本があれば、それを読んで見たいと心に決めて家に帰った。と言うところまでであった。そうだ、私は貝になりたいという映画を見て、本を探そうと思ったことを書いた。 それで昨日、見つけて読んだ。ちょっと見た感じでは、やはりだんまりを決め込みたいのではなくて、人の煩わしい暮らしが嫌だと本人は訴えたいことが分かった。 40年も勘違いしていたことが分かって良かった。
 
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年11月23日日曜日

私は貝になりたい

 2008年11月23日(日)午前9時半
 昨日3ヶ月ぶりに映画に行った。最近は寝る前にしかビールを飲まないことにしているので、映画館でもせっかくビールホルダーが作られているが、それにもかまわず、館内に入る前に、サンドウィッチで昼を済ませた。 さて、画面が、つまり上映されているのが九つあったがお目当ての「私は貝になりたい」を無事に楽しむことができた。 タレントのスマップの一人が主演で今日が初日だったので、見る人があまりに多いようなら違う部屋(違う画面)に行くことも考えていたが、ガラガラだった。やはり固い話は受けないのかも知れない。 この「私は貝になりたい」と言う題名には少し記憶がある。まだ私が大人になる前にこの題を、そしてその中身について少し聞かせてもらったような覚えがあるのである。それ以来、私はものを言うことが嫌になったので、口を貝のように閉ざして、「だんまり」を決め込みたくなった、ある人の話だと思っていた。 が、昨日の映画から私が受けた感じでは、人の世が嫌になり、人間にこき使われる、牛や馬でもない、誰も来ない海の底にいる誰とも関わらないで済む、貝になりたいと言う気持ちになった人の話になっていた。私の理解が足りないのか、数十年前にあった映画の訴え方が違っていたのか分からない。 私は帰りの車の中で家内に、この自分の記憶と今日の映画の内容との違いについて話したら、彼女も同じ気持ちでみていたと言う。それで私は、今度はこの話が、本になっているかを調べて、もし本があれば、それを読んで見たいと心に決めて家に帰った。
 
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年11月18日火曜日

2階 3

 私の悪い方の腕が僅かに良くなったので、昨日から今年の夏までのように、2階に上がる時、手すりを使っての手の訓練ができるようになった。 私は、今年の夏から2階に上がる時に、階段の両側の手すりを持って上がるようになっていた。普通の階段には手すりは1本しかない。しかし、私が2階に住むためには訓練とはいえ、片麻痺の私は、危険を減らすために、手すりを1本増やして2本にしていた。安全のためという考えしか私にはなかったが、実際に手すりを使って階段を上がって見ると、これが何と素晴らしい手の訓練になることが分かった。まず手で手すりを持つためには、腕を少し挙げなければならない。しかも指を開いて、その次はその開いた指を曲げて、手すりを持たなければならない。そして次には、階段を1段か2段上がって、手すりを持ったままで下の段の高さで、つまり自分の体の後ろ下よりにある手を、自分の体の傍まで、手を滑らせながら、持ってこなければならない。この滑らせることが、脳の麻痺の人にとっては大変である。脳のための麻痺は、力が入らないこともあるが、大変な部分の多くは、手や脚がこわばって動かないことにあると、私たちは鍼の教師に習った。 このように、階段を上がる時、悪い方の手は、握る、指を開く、そのためには、腕を前や上に動かす等、大変いい訓練になる事を知った私は、喜んでこれをやっていたが、再び起こした出血のために中断していた。それがまたできるようになり、大変ありがたい。

oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年11月15日土曜日

生家 2

 08年11月15日(土曜日)午後10時
 今日は、素晴らしいドラマの部品というか、小道具というかその素晴らしさを書こうと思ってパソコンに向かってみたら、何と我が家の「ブログコメント受信システム」のお陰で一人の読者からのコメントガ届いていたので、それに関してのことを今回は書こうと思います。

  まずそのコメントから貼り付けてみます。

こんばんは!M.Sです。実家に行かれた結果はどうでしたか?きっと、好き嫌いなど、なにもなく、なんでも、おいしい!と言って食べられる両親ではないですか?懐かしくて、楽しいお話を待っていますよ!了

 これでコメントは終わりです。 次は、私の日記を書く番ですが、今回は親の家には先日書いた「まえさん」に運転をしてもらって出かけた。それで、今日からこれを読まれる方のために、まえさんのことを数日前の記事から引用する。 08年11月11日午後10時 まえさん(仮名)とは、居酒屋さんで知り合った。なぜそのお店に行ったのかは忘れたが、その店の雰囲気が良いと思ったのは、今も良く覚えている。 私がお湯割りを数杯飲んだ所にまえさんはその居酒屋へ入って来た。そして彼は私の左隣に腰掛けた。 こんばんは。まえさんは私に言った。 お客さん、お家はそばですか彼は私に聞く。 車で15分ぐらいです。私は答えた。 お客さんは、ここにタクシーで来るんですか。再び彼 お客さんは、良くタクシーに乗るんですか?と、彼。 私は答えた。 「はい、運転出来ませんから」 彼はタクシーの運転手さんだった。そして彼は私に言った。 「お客さん、タクシーに乗る時は電話してください。」 「はい、チャンスがあったらお願いします。」 それから、数回目の居酒屋さんで彼に会った時、私は彼に話した。 「私はいろんな所に行くんですが、少しのお礼で走ってもらえませんか」 「よかですよ」

もうう5年ぐらいになるだろうか。それからまえさんには、近くは車、遠くは飛行機や列車でいろんな所に突き合ってもらうようになった。 さて、まえさんは午後の1時に、約束通り迎えに私の家に来た。「鹿本にそのまま行きますか」とまえさん。「まえさん、一軒お菓子やさんに寄ってください」 「酒屋じゃなくて菓子やですか。そしてそらどこにあっとですか」 私の変わりように驚いたまえさんが吃驚して場所を聞く。 私は、車の中で電話をした。「もしもし、中原さん(仮名)ですか」 「はい、中原です。」 「才田です。早速ですけど、お嬢さんのお店は今日開いていますか」 「はい、明日の月曜が休みで、今日は開いてますよ。」 「お店の場所を教えてもらおうと思って電話しました。今運転している人と代わりますからお願いします」 私は、まえさんに電話を渡した 車は走り始めた。 私の家から15分ぐらいでお店に着いた私たちは中へ入った。こじんまりした静かな店内には柔らかな音楽が流れている。11月のうすら寒い曇り空の外から中に入ったためもあろうが、中は甘いお菓子の香りと、暖房の暖かさがここちよい。 ここまで書いたら、10時になってしまった。もう、寝ないと明日の訓練が辛い。続きは明日か何時かにしよう。
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年11月11日火曜日

まえさん 1

 08年11月11日午後10時
 まえさん(仮名)とは、居酒屋さんで知り合った。なぜそのお店に行ったのかは忘れたが、その店の雰囲気が良いと思ったのは、今も良く覚えている。 私がお湯割りを数杯飲んだ所にまえさんはその居酒屋へ入って来た。そして彼は私の左隣に腰掛けた。 こんばんは。まえさんは私に言った。  お客さん、お家はそばですか、彼は私に聞く。 車で15分ぐらいです。私は答えた。 お客さんは、ここにタクシーで来るんですか。再び彼 お客さんは、良くタクシーに乗るんですか?と、彼。 私は答えた。 「はい、運転出来ませんから」 彼はタクシーの運転手さんだった。そして彼は私に言った。 「お客さん、タクシーに乗る時は電話してください。」  「はい、チャンスがあったらお願いします。」 それから、数回目の居酒屋さんで彼に会った時、私は彼に話した。 「私はいろんな所に行くんですが、まえさんの休みの日に、私の車で少ししかお礼できませんが走ってもらえませんか」 「よかですよ」 oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年11月8日土曜日

生家

 平成20年11月8日(土)午後5時
 明日は久しぶりに私の生家がある「市木『いちぎ』」へ行く。この市木と言うのは小字である。現在は合併したので、山鹿市鹿北町市木と言うことになっている。この市木のある鹿北町は、熊本・福岡・大分の3県の境目にある山林の多い町である。 今は、山鹿の町から車で20分余りの所にあり、割合簡単に買い物に行けるが、私の小さな頃は、親に 「山鹿に連れて行くぞ」と言われると、大都会に行くような気がして、大変喜んだものであった。 明日はまえさん(仮名)に運転してもらって行くのだが、1時間余りでその市木へ着く。私も何か親の好きな食べ物でも持って行こうかなとは思うのであるが、考えて見ても、親は何が好きだったか分からない。如何に自分のことだけ、自分の家族のことだけしか知っていなかったかが分かる。 昨日親に電話をした 「今度の日曜に行くよ、何か好きな物でも買って行こうと思うばってん、なんがよか」ときいても親である。 「なんでんよか」という。 親孝行の人は、日頃から、親の好きな物は既に知っていて聞かなくともちゃんと好きな物を用意して行くのだろう。私も心がけねばならないとやや遅めだが思ったりしながら、このブログを書いている。 取りあえず明日は、知った人がお菓子屋さんを始められた様なので、その人に相談してみよう。

2008年11月5日水曜日

2階 2

2008年11月5日(水)午後11時
私が二階に越したと前回に書いた。今回は、何故越したかを書いてみたい。
私が二階に移るまでは、母親が二階を使っていた。
母親はやがて90歳である。歩きかたは元気で、階段の昇降も難なくできていた。
しかし、何時かは階下に降りてもらうことを、私と家内とは常々話し合ってはい
た。そんな状況の中で、階下の居間の隣に、5年前にパソコンルームを作った。
居間が6畳の広さで、作ったパソコンルームが6畳の広さである。初めからここ
を母に将来は使ってもらおうと想ってきた。
 さて、今年母が肺炎になった。私たちの不注意もあったが、生来強い体の母は、
直ぐ快復した。そこで私と家内はもう母に階下に引っ越してもらうことにした。家内が私に言った、
 「お父さん、2階の二部屋を使えていいね」
 私はまた新しい暮らしが始まるような、楽しい気分を味わい始めた。最近午前中は、本を読んだり本を作ったりして過ごし、昼からは体の訓練を夕方までやっている。ほんとにありがたい毎日である。

2008年10月30日木曜日

2階 1

08年10月30日(木)午後3時
 このブログを今机で書いている。子供が以前に使っていた普通の学習机である。 そしてこの部屋は2階にある。この2階は20年前に作った。6畳が二つ合わさったようになっていて、この二部屋を私は使っている。 押入が付いた西側の部屋と明るくて快適な東側の二つの部分からこの2階はできている。この2階に越して来たのは7月か8月であった。そして8月末に2回目の脳出血をしたが、ひどくなかったので再び1階への引っ越しはしなかった。
 次はなぜ2階に越したか、いかに2階が気に入っているかを書いてみたい。
  
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年10月27日月曜日

打撲の鍼

2008年10月27日(月)午前12時
 昨日電話がかかった。「打撲のために右手が痛くなりました。」そこで私は聞いた。「仕事はできそう?」電話は家で鍼の仕事を手伝ってくれている彼女からだった。「はい、何とかできます。」 そこで今日から彼女に鍼を練習かたがた、私がすることにした。 診ると、右の手の甲が腫れていて、指を動かすと痛いという。 体がこって辛いとか、関節の変形でしこりがあるとかいうような、しっかり中をほぐす鍼は大変であるが、打撲や捻挫等の鍼は覚えてしまえば簡単である。 退院から一月を過ぎた。治療がしたくてたまらなかった。何ともありがたい。
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年10月24日金曜日

コメントへのコメント

24日(木)午後10時
 今日は、皆さんのコメントへのコメントのページにしてみたい。

おはようございます。返事がいまになりすみません。引用の件は、別にかまいません。私もあなたのブログを読むのが楽しみです。これからも無理をしない程度に書いてくださいね。

 人吉市の人で、私の携帯にコメントを時々いただく方 歩くのは気持ちよいですよね。私はまだやっと歩いていますがやはり秋の外は
気持ちよいですね。
 
こんにちは!MSです。
歩き始めたのですね、私も 昼休みに歩いています。15分ぐらいですが、今の季節が一番楽しく歩けます。少しずつ、前に歩いていきましょう!了2008/10/18 9:00

 愛知県の方です。何時も励まされています。

赤坂 稔さん
失礼しております。赤坂稔です。
鍼の練習を始められたとの記事に接し、ほっとしております。健康を回復されることを祈っています。これからも、ブログを楽しみにしております。
2008/10/06 10:59

 熊本の方です。
 あすなろ会の勉強会は11月からと思っていましたが、その日が漢点字の九州大会となったので、12月からにしたいと思います。
 講座を担当等、何時もご支援いただいておりますが、今後も宜しくお願いします。

2008年10月20日月曜日

やがて肘が伸びそう

08年10月20日(月)午前11時
 昨日ぐらいから肘が少し伸び始めて、やがて面白くなりそうになった。
 ここでどんな運動なのか昨年の文を探してみよう。
昨年の文を探したら今年の2月にあった。それで、そのまま引用してみる。

08年2月4日(月)午後10時
 昨日、朝目覚めて起き上がる前に、仰向けのままで腕を伸ばして上に挙
げたら、真上まで上がった。座位では腕は真上には上がらない。
 次に、一昨日に気づいたのであるが、患側を上にして横に寝て、腕を伸ばして
真っ直ぐ腕を伸ばして腕を挙げたら上がった。横臥しているので、肩の関節の外
転になる。
リハビリの回数を増やしてから、手のほうも少しずつ良くなっている。

今度練習を始めて、以前よりも手や腕の練習を多くやっているが、なかなか進まない。しかしとうとうやがて上がりそうである。8月には、つまり2回目の出血をする前には、1キロのおもりを手首にはめてこの運動ができていたので、今度も頑張りたい。

これで今日は終わりですが、メールで私のブログを見ていただいた方からの、励ましの文をいただいた。感謝します。一つお願いです。今度いただく時には、何とお呼びして良いかニックネームでも良いので教えてください。
では、ありがとうございました。

oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年10月16日木曜日

外を歩く

08年10月16日(木)午後4時
 体調は良くなった。今回も外を歩くことを3日ほど前から始めた。昨年は、退
院後4ヶ月後から始めているが、今回は軽かったので、退院後およそ一月ぐらい
になるが、始めることにしてみた。昨年は距離も毎週住宅の1軒分ずつ増やして
いったが、今年は、毎日1軒分ずつ増やしてみることにした。
 今日書きたいことは終わった。あまり短いので、もう少し書きましょうか。
 昨日は、このブログにいただくコメントを読むシステムを作ったので、これか
らは読みやすくなりました。皆さん楽しみに読ませていただきますので、宜しく
お願いします。
 
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年10月9日木曜日

体調

08年10月09日(木)午後6時
 ここ3日ほど、体調が良くない。従って、訓練が辛い。気持ちを奮い立たせな
いと、訓練が始まらないし、休むと眠たくなり、眠ると、更に体調が低下する感
じがする。朝から食後血圧を測ることにしているが、今朝は108だったそして
夜は寝付きが悪い。昨日は次の小説を読み始めたが、そしたら直ぐ眠った。しか
しその前に既に、ハリーポッターの7巻の最後を2時間ほど読んでいるので、2
時間半ぐらいは寝付けなかったことになると思う。毎年春と秋には数日なるので、
今年もしょうがないかと思うことにしたい。

oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年10月6日月曜日

鍼の練習2

08年10月06日(月)午後9時
 鍼の練習で、今日は、初めてほぐすことができた。練習のモデルになっている家人が「鍼らしい感じが初めてした」と言う。 この「ほぐす」と言うことはなかなか説明が難しいが、鍼を少しでも皆さんに分かっていただくために説明を試みてみたい。 まず、治療を行う鍼は、幾つものやり方がある。そして鍼の治療者は、それぞ
れのやり方を国の鍼の免許をもらった後で、それぞれの先生に教わってやっている。 そして私が行っている鍼を、「平方鍼法(新しい鍼)」と我々は呼ぶことにしている。 ここで少し長くなるが、この平方鍼法の、日本で行われている鍼全体に対する位置づけと、その鍼の始りについて分かりやすく書いたものを、引用してみる。
   平方鍼法(当院で行っているはり)とは

   平方鍼法(新しい鍼)の位置づけ

 現在日本で行われております鍼の治療法は、その手技や治効理論などから大きく三つに分けることが出来ると思います。 まず一つ目に経絡治療といわれるものがあります。これは中国で行われた漢の時代を中心とした伝統的な理論を用いて鍼を行っていこう、という考えの治療法ということが出来ると思います。 二つ目は現代の医学(西洋医学とも言われる)にその治効理論を求める鍼治療があります。これは自律神経・ホルモン・反射・体液・血液の流れ・磁気の作用などの現代の医学の理論を根拠に鍼の刺し方や刺す場所などを考えて行われる鍼治療の流れです。 三つ目は今書きました一と二との鍼治療の流れを合わせて行われる鍼の治療法です。ですからツボなども使って治療もするが、現代医学の理論も取り入れるやり方がなされております。 さてこれらの三つの鍼治療の流れがある訳ですが、「平方鍼法(新しい鍼)」はその中の二つ目の現代医学にその治効理論と鍼の刺し方(手技)を求めていく鍼治療の一つです。

   平方鍼法(新しい鍼)の始まり
 鍼は皆様もご存じのように聖徳太子のちょっと前の頃に日本に入ったと言われています。その何度目かの伝えられた内の一つに、明の時代があります。中国の明の時代(1368〜1644)、この時にも長崎に鍼が伝えられたと言われています。この中に現在の平方鍼法(新しい鍼)のやり方の基になったものが伝えられたようです。そして江戸時代になったある時、水戸黄門の水戸で日本国中の学問を集めたことがあった時、この鍼のやり方も集められ、以来水戸にはこの手法が伝わっていたようです。私の師匠であります故平方龍男は水戸の出身で、15歳の頃一人の鍼師を師匠に鍼を学び、そして鍼の学校にも入り教員の免許を取得し、しばらくは教鞭を執ったものの、その後開業して鍼の治療をしながら後輩にその指導をするようになったわけです。 そこで「ほぐす」ことを少し書いてみる。これは、我々の鍼の方式独特のやり方で、手を用いて体にできたこりやしこりや突っ張りを探し出しそれを我々は所見と呼んでいるが、この所見に鍼を少し当てて、つまり実際には鍼を所見の中に少し入れて今度は力を入れて鍼を手前に引く。この抜き刺しを繰り返していて、鍼が所見に当たらなくなった後鍼を体から抜き出してその部を触ってみますと、このしこりが、無くなったり、小さくなったりしています。この鍼の操作を「刺動法」と呼んでいて、この刺動法を説明をする時は、分かりやすく「ほぐす」といっています。 今回は、ほぐすということを少し書いたが、これからも折りに触れて、鍼のことも書いてみたい。

 

 
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年10月2日木曜日

鍼の練習を始める

08年10月02日(木)午後4時 まずお礼を書きます。私は漢字を使いこなす能力が少し足りないので、良く間違います。しかしあつかましい私は、間違いにもかまわず、ブログを書いています。そこにはどうしても、間違いを修正する人が必要です。今、これを書く前にメールを見ると、「修正して置きましたよ」と言うメールやワープロソフトでの誤変換の指摘などをいただきました。これらを送ってくださった方々に、心からお礼を申し上げます。今日は、このようなありがたいことが、もう一つありました。それは、とうとう、今日から、飯よりも好きな鍼の練習を始めることができたということです。では、これをお読みの方に感謝しつつ失礼します。

2008年9月29日月曜日

肘を伸ばす感じ

08年9月29日(月)午前12時
 台風の前ぶれで、雨が降っている。今年はまだ九州には上陸していないと記憶している。

 ところで肘の感じの話だが、歩いていて、昨日ぐらいから、肘を伸ばして見ると肘に特に肘の少し上の所の後ろ側つまり肘を伸ばす時に使う筋の所に力が入るのを感じるようになった。手や腕のこわばりを減らすために、手を台に突いて、体を支える練習をする。それをする時に、なかなか腕で体を支えきれず手が台の上を滑ってしまっていたが、昨日ぐらいからその滑りがやや落ち着いて来た。

それからである。歩きながら肘を伸ばしてみるとやや伸ばす時に、筋に力が入るのが分かるようになった。それでもまだ実際には肘は曲がっている。もう少し肘を伸ばす訓練に負荷をかけられる物を探そう。

oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年9月25日木曜日

歩行

08年9月25日(木)午後3時

 家に帰ってからは、手足の訓練に加えて、今回はおしゃべりの訓練も必要であった。それで、まずは携帯の予定表に三種類の予定を入れた。一つ目は何と言っても最も必要な手の訓練である。それで予定にはて1からて4までを入れた次に脚の場合はいろいろ方法はあるが、歩くことでいいとして、歩き1から、歩き3までを予定に入れた。最後はおしゃべりだが、これはおしゃべり1から、おしゃべり4までを入力した。この11個を、一つ終わるたびにその終わった物は、日にちを明日に変えて、明日また使えるようにした。
 今、このブログを書いているが、これは今日の予定の12番目である。
 ここでやっと今日のテーマの歩行の話に触れることができそうである。
 家に帰った六日前は、物に掴まらないと歩くのがやりにくかった。頑張っても5分ぐらいすると、背中が疲れて、椅子で休まなければならなかった。それが、一昨日ぐらいから、決まった10分間休まずに歩けるようになった。そして今朝からは10分では背中の疲れがほとんどないので、歩くのを15分にした。

oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年9月22日月曜日

退院

08年9月22日(月)午後3時

 先週の金曜に退院した。そうである。何と情けないことに、また脳からの出血をしてしまった。

 今回は喉の付近の麻痺で喉にじゅうぶん空気を送り込めないのでおしゃべりが少ししかできない。2年前とは左右反対の出血であったが、手足の麻痺がなくて、大変ありがたい。しかし、3週間寝ていなくてはならなかったので、まだ2年前の麻痺の残りの部分が弱った。おそらく取り戻すのに1ヶ月ぐらいかかるだろう。

それでも私はありがたい。昨日連絡が入ったが、一つ上の先輩は脳の出血で亡くなった。私は訓練さえすれば、また良くなれる。なんとありがたいことか。

よし、もう少し鍼の普及のために頑張ろう。

oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年8月30日土曜日

2階への引っ越し

08年8月30日(土)午後11時
 十日ぐらい前に、2階に引っ越した。私は脳出血の病み上がりなので自分では
物を運べるのは限られているので、赤帽さんを二人2時間お願いした。
 私のベッド、作業台などを2階に、母親のベッドや箪笥を下へという具合であ
る。
 引っ越しは時間内に終わった。
 この引っ越しに因って、私は二つの良いことが与えられた。
 1.私の体の快復が階段に因って速められる。
2. 2階の部屋は、新鮮な気持ちで生活ができて気分が変わって良い。その具
体的なことは、次回から後に、ゆっくりと書いて行きたい。
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年8月14日木曜日

腕を真上に挙げたい

08年8月14日(木)午後7時
 一週ぐらい前から、仰向けで腕を空に向かって挙げる練習をする時に、手に5
00グラムのおもりを嵌めて行うようになった。そして今日からは、そのおもり
を1キロにした。現在立った位置で腕を上に上げると、力が足りないことと、肩
の関節の柔らかさが足りないために、腕が真上に上がらずに前上に上がってしま
う。この1キロの重さに打ち勝って練習をして、腕が真上に上がるように頑張り
たい。

oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年8月10日日曜日

支援会のホームページ

08年8月10日(日)午前8時半
昨日、委員長が委員会の第1回の会合の打ち合わせを始めた。何の委員会かとい
うと、支援会のホームページを作るための委員会である。その 相談は、メーリ
ングリストで始まった。委員長はキノチャンである。
その委員長が、メーリングリストで秋に入って涼しくなりかけた頃に、一回目の
会合を持ちましょうと呼びかけたのである。
 私は、返信に因る反応を促すためにそのメーリングリストでキノチャンに応援
のメールを書いた。待っていた反応は、数時間後にあった。何時も協力的な会場
係の委員の一人からであった。
 私は思った。これで、ホームページはできて行くだろう。あるできる人が作業
して作るページはうまく速くできるだろう。しかし、皆で集まっていろいろ話つ
つ出来ていくところに意味があるのだと思う。
 このように、支援会はみんなでゆっくり、そして確実に続いて行く「組織」に
なって欲しい。
 
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年8月8日金曜日

動画

08年8月8日(金)午前11時40分
数日前に、このブログで「掃除機物語」に登場した彼を、私のパソコンの先生
が写真に撮った。そして、このブログに載せてくれた。動画もあると言うことで
ある。
 今日は内容が短いままでブログは終わります。
大分書かなかったので、何かをと思って書きました。風邪を引いてしまい、活動
はしてはいるのですが、ゆっくりした時に、ブログを書いたりができていません
でした。
これからはまた書けると思います。
では、また書きます。


oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年7月23日水曜日

仮装壁

08年7月23日(木)午後11時
少し前に、このブログで「掃除機物語」を書いたことがあった。
その比較的初めの部分に、掃除機の箱を開けて、部品を見る所がある。そこで面
倒なことが嫌いな私は、「仮装壁」を物入れに放り込んでしまっていた。そして
その後は、最近、順調に掃除が進んでいるが、廊下・仕事の部屋の二つ・控え室
等掃除はほぼうまくいっているのだが、最近、気になりだしたことがある。
それは、廊下や控え室には玄関がある。そしてその玄関の段のところで、彼が下
に落ちないように、段の所で停まることがあるということである。
 それで、しまい込んだ仮装壁を出してみた。ブログでは、擬似壁と書いたかも
知れない。電池を2個入れてスイッチヲ入れた。赤外線が出ているとのことで、
それを彼が感知してそちらへは行かないようになっているようだ。
ためしてみると、効き目はあるようであるが、いまいち分からないところがある。
しかし、これからは、なるべく使って、放って置ける時間をなるだけ増やしたい
ものである。
 そうすると、分からない所も解決するかも知れない。
 

http://s6.kcn-tv.ne.jp/users/oushi/

2008年7月15日火曜日

支援会のホームページ

08年7月15日(火)午後8時
 掃除機物語を携帯で書くと、私の手や脚を訓練しながら時間を有効にと思ったが、そうはならなかった。
 日記と違って、物語となると大きな集中力がいる様な気がして、なかなか進まない。それで、ブログを書くことが間遠くなっていた。これからはまた書き始めたい。
 最近書けることは「支援会」のことだろうと思う。しかし、他のことも交えながら、書いてみたい。これを書く前に、支援会の役員会の段取りをした。このブログの今日のタイトルの、ホームページを作る組織を作る役員会をする打ち合わせである。
 では、読んでくださっている方にお礼を申し上げて終わりにしたい。ありがとうございます。

2008年7月3日木曜日

掃除機物語7

後日撮影してもらった掃除機の画像

さて、今日は彼のために、物置に板切れを捜しに行くところからである。ところで、私は2年前に脳出血になって、左の片麻痺がまだ残っている、それで、私が今書いている、このブログにも前に書いたことであるが、道路のように平らではない庭を歩くことは、今のところまだスムーズにはいかない。

しかし、去年のように杖はもういらなくなっている。物置に着いた私は、まずドアを開けた。奥の方に長い3畳の広さの部屋である。数年前に、大工さんに作ってもらった物である。この左右にある長い方の壁の床に近いところに、板切れはあるはずである。そこで私は、まず右側の壁に近寄ってみた。視力のない私は、ここまで来て初めて壁際に自転車が立てて置いてあることに気がついた。目当ての板切れは、壁と自転車の間にあるはずである。

そこで、自転車を壁と平行を保ちながら壁から離すように移動させて、私が壁際に行けるようにするのが良いのであるが、左の手が思うようにならない私は、それも面倒なので、自転車の傍に屈み込んで車体の隙間から手を入れて自転車の向こうにある板切れを取ろうとした。しかしどうしても手で確かめるしかない視力のない私は、自転車の隙間から手を入れて見るだけでは横の方まで手が届かない。

それで今度は立ち上がって、自転車の上に体を乗せかけて、腕を自転車の向こう側の下まで伸ばして、先ほど手が届かなかった所を探そうとした。しかしこれも体を乗せているのがしっかりした台ではなくて自転車なので、安定が悪く思うようにはいかない。

観念した私は、やはり自転車を壁際から離すしかなさそうであることをしぶしぶ認めた。そこで私は、自転車の後側に移動した。病に冒されていない方の手つまり右の手でゆっくりと倒れないように気をつけながら、少し動かしては反対側詰まり前の方を動かす。これを数回繰り返して、私の体が入るぐらいの隙間を、壁と自転車との間にやっと作った。

サーッ、今度はうまく板切れが探せるだろう。板切れは思ったよりも多く、何枚もあった。それがしかし、ここには、幅が広くて、縦と横とを2度切る必要のありそうな板しか無かった。
面倒になって私は無理な姿勢で疲れてもいて、やめようかとも思った。しかし、あの玩具いや玩具ではない。確かにやくにたつ掃除機である。これが、いや最近は彼である。この彼が家の中を遊び回っているのを眺めたいと強く期待している私は、元気を出して、右壁から離れて、左側の壁際に屈み込んだ。

今度は手頃な板切れがあった。それを家の中に持ち帰った。元気の良い時には中屈みで鋸等を使ったりもしたが、最近はまだそこまではいかない。座り込んで、脚で物を押さえて、やっと板を切ることができた。

次は、この切った板をベッドの頭側の床に近い所にある横の桟に彼が潜り込まないように、釘で打ち付けるだけで完成である。

ここまで来て、私は左手で釘を持つことが無理なことに気が付いた。先ほども書いたように、私は脳出血の病み上がりの身で、左の片麻痺のために、釘を打つ時に左手でその釘を支え持つ事ができないのであった。しかしどうしても掃除機がベッドの下の横桟の下に潜り込まないように、板切れはなんとしてもこの横桟にとり付けなければならないのである。

漱石の猫なら、ここで、第1の心理を発見したとかなんとか言うところであろうが猫の手より働きが悪い、左手しか持たない私の頭では、そんな心理などは浮かばない。

座り込んでボーッとしながらも、私は考え続けた。
「左手が衰えていると、頭の働きはそれに比例して衰えているのだろうか。」
「漱石の名無しの猫よりも、私の頭はやはりわるいのだろうか。」
そんな、何にもならないことを考えないで、もっとまともに素直に釘のことを考えなければならない等と考えた時、素直の反対のねじれを思いついた。そうだ。

素直な釘ではなくて、ねじ釘でやると、ほとんど右の手だけで板切れを横桟に固定できるのではないかと思いついたのである。

私は立ち上がった。廊下にある物入れを開けて大工道具を入れた箱を抱えて仕事の部屋へ向かった。そして、仕事用のベッドの傍に座り込んだ。次に、道具箱から錐を出した。私の家の真ん中の娘の中学校の時に使っていた道具が残っていたものである。現在の私は、足で、板を踏みつけて固定することができないので、脚を前に投げ出して、その下に板切れを敷いて固定した。板切れには2カ所穴を開けなければならない。錐を使うことは、病後2回目だと思う。一度目はこのブログにも書いたが、カレンダーに穴を空けた時であった。今回はその時よりも左手の指は伸びていて、少しはましだが、それでも両方の手を指先を向こうに向けて真っ直ぐに合わせることが長い時間はできない。合わせても長く続かなかったり、掌の密着度が弱くて錐に力が入らなかったりするので、左右の掌を指先を90度向きをずらして合わせて掌の密着度を上げて錐を使った。時々は片手で錐を回したりして、何とか錐の先端が少しその板切れの片面から覗く程度に穴を空けることができた。

つぎは、この板切れをいよいよベッドの下の方にある横桟にねじで留めることをする番である。ドライバーを使ったが、右の手だけで、ドライバーをねじに当てた後、ドライバーを回し始めるまでには少し苦労したが、うまく板切れは桟に嵌った。
そこで彼に動いてもらって、彼がこの桟の下に潜り込まずに掃除を続けるかを確かめた。彼は、桟の下に嵌めた板切れにぶつかっては横に移動している。私はホッとした。

手が普通に動くのであれば簡単な作業も、大事業をなし遂げたような気分になって、その後は美味しいビールをゆっくり楽しんだ。


これで、掃除機の物語は終わりであるが、これからも材料を見つけては、大好きなロボットの事などを書いて見たい。これを読んでくださっている方も、ロボットに関する話があればご一報いただけないだろうか。


oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年6月23日月曜日

掃除機物語6

掃除機物語6
前回は、またベッドの下で彼が停まってしまったところまでであった。
私がベッドの側に屈み込んで見てみると、彼は床とベッドとの間に背中を挟み込まれて動けないでいるのであった。
通常彼は物に当たると、別の方向にその向きを変えるようにしているのであるが、今回彼は円く膨らんだ背中を大分突っ込んでしまってから後ろに下がろうとしたが、背中がベッドの横板に捕まってしまったようである。
そこで私はまた考えた。
この横板に別の板を打ち付けて、彼がその板の下にモグり込まないようにしよう。
その結論に達したので今日の治療室の掃除はこれで終わることにした。
さぁ、今度は庭先にある物置に彼のために、板きれを捜しに行こう。
--------------
http://s6.kcn-tv.ne.jp/users/oushi/

2008年6月19日木曜日

掃除機物語5

前回は、治療室の掃除がやっと始まったところまでであった。前にも書いたように、機械的な動きを見ていることの大好きな私は、壁にもたれてジーッとして彼の動きを観察し続けた。彼は、二つのベッド・一つの机の下などを、その独特なリズムで動き回っている。縦横無尽とは、このことであろう。私は、彼がこの部屋だけで働いて、ほかの部屋に行かないために、2箇所あるドアを閉めた。彼は嫌がって廊下に行きたいのか、ドアになんどとなく当たったりしていたが、やがて諦めたのか、それとも次の仕事を急ぐ為かは分からないが、ドアだけではなくてその横の壁にも、当たったり少し退いたりを繰り返しながら、働き続けている。私はうまくいったと楽しくなり、これからは、他の部屋も次々に試して行こうなどと考えた。その時であった。「ゴトゴトゴト」と音を立てて彼は、机の下で停まってしまった。私は急いで机の所へ行ってその前に屈み込んだ。そしていわゆるシーソースイッチを見てみたがそれは「入り」の状態になっている。そこで本体上面にある三つの押しボタンの内の一つを押してみた。するとまた「ゴトゴトゴト」と再び彼は停まってしまった。


http://s6.kcn-tv.ne.jp/users/oushi/


2008年5月30日金曜日

掃除機物語4

掃除機の充電が終わった。私は立ち上がって、それを手に持ってみた。普通の家庭によくある物より少し軽い。
さて、私が最もこれを使ってみたかったのが治療室である。この部屋に入った私はまず、六つある椅子を総てベッドや机の上に上げた。そして今度は、二つある踏み台も上げた。最後はこれも二つあるベッドのヒーターのコードも片づけた。
そしていよいよ、掃除機を床に置いた。
このスイッチは本体の側面にある。正式な名前は面倒なので調べてはいないが、以前にシーソースイッチというような呼び方を聞いたことがあった。
これを入りにする。「ピーコ」と音はした。しかしまだ動かない。
そこで、次に本体上面にある三つの押しボタンの内の一つを押した、この三つのスイッチは、それぞれ細かな役割分担があるようではあるが、これも面倒なので、詳しくは将来調べることにしてとにかく今は適当に一つのボタンを押した。すると彼はしっかりと動き出した。
その動き方はどうも真っ直ぐではなくて、ある半径の一部、つまり一定の大きさの弧を描いて動くようである。
掃除機は、順調に10畳より少し狭い部屋をあちこちと移動しながら活動を続けている。それを見ながら私は考えた。今は掃除の前に私がやったように、椅子をそうじの前後に人が動かしたりしなくてはならないが、やがてそれも掃除機がするようになるだろう。
家の者は、この掃除機の話をする時によく言う。
「もっと小さくて、いろんな物の間に入っていけるのがあるといいね」
ところで私は、何故かは分からないが、このように動いていたり、作業がしかも機械的に行われているのを観察することがすきである。

2008年5月27日火曜日

掃除機物語3

今日は今、この物語を書きながら仕事の部屋で、この主人公である掃除機を動かしている。
もう数回目なのでほとんど順調にへやの掃除が進んでいる。
1回目はこうではなかった。
話を前回の終わり、つまりこの掃除機が届いて箱を開けたところに戻そう。
幾つかの付属品や、プリントされた説明書が入っていたことは以前にも書いた。
私はこれらを見て、次の様に考えた。
多機能で複雑な最近の道具や、機械類の例に、この掃除機もきっと漏れていないであろうから、詳しくは困った時に調べることにして、まずは最も簡単にこの掃除機を動かせる、最低限の知識を得ることにしよう。
そこでおおげさにいうと、家人の目を借りて、箱の中の調査を開始した。
まず、リモコンスイッチが見つかった。これは使わないと決めて、仕舞い込んだ。
次に見つかったのは「疑似壁」である。
小さな円い柱状をしている。
これを置いてそこから先には、掃除機がいかないようにできるようであるが、これもお倉入りにした。
次のやや大きな物は、充電器であった。これは掃除機の電力が減って来たら、自分でこの充電器に近寄って行き、一人で充電を行うという優れ物ぶりを発揮するための部品である。
これは最も魅力ある付属品ではあるが、説明書が込み入って面倒なので学習することを保留することにしてしまった。
その代わり充電は、私の最も得意な手動で行うことになりそうである。
ここまで、決して遊びではない、家の大切な仕事をするための重要な調査を進めてきて、非常に真面目な私も、少し疲れていることに気がついた。
それで私は、今日の調査を終わりにして、明日仕事の部屋の掃除という大切なことのために体を休めておこうと、ゆっくりビールを飲むことにした。
明日はいよいよ仕事の部屋を掃除機が動き回るであろう。

2008年5月24日土曜日

掃除機物語2

 08年5月24日(土)午前10時
掃除機が家にやってきた。
その掃除機が届くまでに私が待ちかねて、「早く来んかな」を繰り返す度に「一カ月ぐらいかかるそうよ」と家内は答えていた。
その掃除機の箱をすぐ開けてみる気になった私は、家の居間兼食堂に置かれている、コタツのそばに座り込んだ。
 箱を開けると直径およそ25センチぐらいの丸い掃除機が出てきた。後は説明のためのプリント物があった。そして他に、幾つかの付属品がある。最近の品物は、複雑で多機能である。この掃除機も、説明書を読んでもらっても、私にはどこまで理解のための我慢が出来るかは分からないが、ホースもない。そしてリモコンのスイッチがあるこの機械は、説明書に取り組むしかなさそうである。

2008年5月23日金曜日

掃除機物語1

今から、1ヵ月ぐらい前のことである。
私が、夕方、その日の仕事を終えて居間に置かれているテレビの前を通り過ぎようとした時それは聞こえた。
「一人で動いて部屋を掃除します。」
また、このようなこともきこえた。
「電池がなくなったら、ひとりで充電して、さらに掃除を続けます。」
私はこれを聞いて、「これは面白い。よし、これを手にいれよう。」
と思った。それから私は、家人に注文をたのんで、後はその掃除機が届くのをひたすらまった。

2008年5月19日月曜日

歩調

08年5月19日(月)午前8時
 今朝歩く練習をした。その感じが何時もと違っていた。いつもは、左の足が弱いためか、左足を床に着けて右の足を前に出す時間が左のそれと比べると少し長いような気がしていた。それが今日は短いというか、左のその長さに近づいて来たような感じがした。
 つまり極端にいうと左右の足で歩くときにこれまでは、1と2、1と2。このように歩いていたのに今日の感じのそれは、1,2、1,2となってきた。
これは、測定していなくて感覚で書いているが、少し左の足が強くなった事には違いないように思える。

2008年5月16日金曜日

20分

08年5月16日(金)午前11時半
 昨日ぐらいから、歩くのが、20分ぐらいでできるのが固定化してきた。普通の人なら、10分で歩く距離である。
今、散歩から帰ってこれを書いているが、その散歩の帰り道話してきたことであるが、今時間は20分になったが、左の脚にまだ思い切って力を入れにくいところがあるので、もう少し安心して踏ん張れるようになったら、歩く距離を延ばそうか。
 もうこの距離にしてから半年ぐらいになるが、歩く中身は変わっても、距離やコースはほとんど変わっていない。今、自分の感覚で、脚の力は7割と思っているが、これが思い切って脚に体重をかけられて、歩く速さが普通の人の1倍半ぐらいになったら、脚の力は、8割と言って良いのではなかろうか。今年の秋に、脚も腕も8割に快復すると願っているが、脚は、確実になってきた。後は腕のことをしっかりせねばならない。脚は楽しくできるが、手の方は難しく大変であるが、私はありがたいことに、仕事が三度の飯よりも好きなので、仕事をするため
には手の快復が必要なので、多分達成できるのではなかろうか。

2008年5月15日木曜日

ワゴン

08年5月15日(木)午前12時
 今日の午前中に、大変仕事が忙しかった私は、復活と言っているが、次第に仕事が増えつつある。
 今日もあわただしくやっていると、つい左手の動かないのを忘れて、左手で治療用のワゴンを引っ張った。スムーズではないので、左手の麻痺を思い出して、左手を使わなくてはと思い、改めてそのワゴンを引っ張ってみた。掴み方がおかしいだけで、動くのはキャスターがついているので簡単であった。
 これまで仕事の時は、そしてワゴンを引っ張る時には、左手は使わないと心が決めていたようである。これからは、ワゴンを動かすことは左手も使うことにしたい。

下記は、メールアドレスです。
 
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年5月14日水曜日

予定表

08年5月14日(水)午後12時
 携帯でメールを練習して、何とか書けるようになった。
 次は、予定を書き込めるようになりたい。
 なにしろ歩くのが2時間なので、そのうち外へ行くのが30分としても、1時
間半も携帯の練習ができる。
 ある日、歩きながら携帯のメニューを見ていた。6番に予定表があった。な
んと私が病気になる前にしていた、予定を書いたノートの様なことが、この携帯
でできそうである。
 やってみると大変良い。予定の時刻が来たら、「予定の時間です」と、知らせ
てくれるので、忘れることがない。
  これを使えるようになってから、携帯を手離せなくなった。
 話は変わるが、メールでこのブログはアップしている。その書名の仕方を最
近ならった。
それでこれからは、このブログの最後に私のメールアドレスを書くことにした。
これを読んで下さってる方で、何かありましたらメールください。
 
oushi@s6.kcn-tv.ne.jp

2008年5月9日金曜日

08年5月9日(金)午前9時
 一昨日、庭を珍しく歩いてみた。まだおぼつかない歩き方だが、もう不安はな
い。
昨年は庭を歩くのはやっとで、必死に行うという状態であった。懐かし
いので昨年の7月の記事をここに貼ってみたい。

 一昨日は友人宅へ出かけた。仕事に使う健康調査票の相談がその用件であった。
さて、1時間ぐらいで帰宅することができた。サアーッ、ビールを飲みながら昼
飯を食おうかと勢いよく玄関のベルを鳴らした。誰も出てこない。もう一度試み
た。しかし、結果は同じで玄関はすましている。さては家人はどこかへ出かけた
なとガッカリした。どう考えても玄関は開かない。鍵は病み上がりで必要なか
ったので、困ったことに大切に家の中に仕舞っている。退院以来、外は前の道
路など足場の良い所しか歩いていない私は、悩んだ。予備の鍵は家の裏、つまり
足場の我が家で最も悪い所にある。今朝は一人で駐車場にある車まで行けたと
喜んでいたのに、やはり厳しい現実を見せつけられたような感じがしてきた。そ
れらを考えて時間が5分ぐらい過ぎた。ここは、考えるよりも行動である。
 まず鞄から白い杖を出した。これは視力のない人が使うためのもので、昆虫の
触覚のような物で、体重はかけられないが足下を探るのには、そのための道
具なのでバッチリである。まず、ゆっくりと後ろを向いた。つまり、ドアを背に
して道路を向いた訳である。ポーチの前の端まで歩く。今鞄から出したばかりの
杖を使って足下の下り階段を探す。見つかったので下りないで右の横へ移動する。
数歩の所で右前に手を出して見ると手すりが触れた。ここで杖を左手に持ち替え
て右の手で手すりを持つ。そして階段を2段下りる。これで家の前の道路に出た
訳である。ここは舗装してあるので足場は良い。それで安心して左の方へ道路を
歩く。7、8メートル行った所で左へ曲がる。ここは、小砂利が敷かれた駐車場
で、ここまでは何度となく歩いて来ていて心配はしなくて良い所である。これか
らがしだいに足場が怪しくなるところである。しかしここまで来てやめるのも悔
しくてしたくない。それでおそるおそる再びゆっくり前進する。数メートルの
所で駐車場の奥の生け垣にぶつかる。ここにあまり近づくと足下が良くないので
一定の距離を保ちながら左へ横移動する。垣根が終わった所で再び前へ
前進する。ここいらが足場が悪い所で最高に緊張する場面であるが、
ゆっくりしっかり頑張って鍵を探し出した時には、大きな深い安堵の息が出た。
この後家の中に入って飲んだビールがおいしかったのは言うまでもない。
このように、次第に自分でできる動作が増えていっていることは大変ありがたい。

 これが昨年の夏の記事である。話を今年に戻そう。
 今日の冒頭にある一昨日から毎日、一区切りしたら外に出て、庭やバス道路側
の歩道を歩いたりするようになった。

2008年5月5日月曜日

サポーター

08年5月5日(月)午後4時
 今日、朝起きて、例の通り歩こうと居間から仕事の部屋に行った。歩き始めて
みると、左の足首が何となくおかしい。物足りないような、妙な感じがする。見
ると、サポーターを着けていない。暫く歩いて考えた。
 「もう、サポーターははずそう」
今日から室内では、この左の足首のサポーターははずすことにした。
 これを着けるようになったのは、友人の薦めからであった。昨年の春、佐賀の
友人が、ひょんなことから私の家を尋ねてくれてからであった。
 そのころの私は、まだ歩けるか歩けないかの段階であった。
 私が脳の病になっていることを知らなかった友人は驚いた。そして私から短下
肢装具を使っている事を聞いて、その友人は、室内ではサポーターを使うように
勧めてくれた。そして、その翌日、サポーターを買ってきた。左手が僅かしか使
えないことと、そのサポーターが筒状の物をただはめるだけでなくて、マジック
テープがついた短いベルトの様な物をいくつも留める必要があるやり方のために、
私は、その装着に時間がかかった。しかし、その装着にも馴れ、私にとって、こ
のサポーターは、無くてはならない物になっていた。
 友人が言うのには、このサポーターだと足の筋を使うので、快復が早いという
ことであった。
 そしてそのことがあった昨年の春が終わり、夏からは、外でも装具を使うのを
やめて、このサポーターで外にも行くようになった。
 それから1年、室内ではこのサポーターを使うことはやめることにしたが、外
では、もう暫くお世話にならなくてはならないだろう。
 

2008年5月3日土曜日

メール2

08年5月3日(土)午後1時
 昨日、メールが携帯に届いた。漢字の違いを音声で区別ができなかった一昨
年までは携帯のメールは使っていなかった私であるが、それが昨年から漢字
の入力の時にその候補を音声で読み上げてくれるようになったので、携帯を使
うようになった。私は廊下と呼んでいるが、室内での歩く練習の時、携帯でメー
ルの処理をしたりしている。
 これは4月の29日に書いたメールと言う記事の冒頭の部分である。この
人から今日は快いメールがまた届いた。今回はそのことを書いてみたい。
 今日、目が覚めたのは6時過ぎであった。
「よし、目さましに歩こう」
 私は顔も洗わずに、仕事の部屋へ行った。まず北側の窓を開ける。モンゴルで
教えられた富士山の方を向いて立つ。モンゴルの息子と私が今日も元気で一日を
始められた事を感謝する。
 そして、この部屋の中で歩く練習を始めた。今日の注意点は足を踏ん張る
時に、その直ぐ後にお尻の筋を使って体を前にやれるように足の底で床を踏
み続けて力をお尻の筋に入れる努力をすることである。
 さて、歩き始めた。携帯を右の手に持つ。終了ボタンを押す。次にマルチカー
ソルボタンの上を押して、メールが届いているかを見る。3件あった。その中の
一つに、先ほどこの文の冒頭に書いた人からのメールがあった。
 以下、それを差し支えない程度に貼り付けてみる。

今晩は。○○さんが、あなたにメールを送ったとき、「ブログを見てください」
との返事がきたけどと、いわれたので、彼女にパソメールで送りました。これか
らも送ろうと思いますけどよろしいでしょうか?

説明を省いているので、ちょっと分かりにくいところもあるが、
メールでブログの内容を読みたい人に送っても良いかというメールである。

なんとありがたいメールである。
 私は、当然、直ぐお願いしますと返信した。
 

2008年4月29日火曜日

メールマガジン

08年4月29日(火)午後9時
 昨日、メールが、携帯に届いた。漢字の違いを音声で区別ができなかった一昨
年までは、携帯のメールは使っていなかった私であるが、それが昨年から、漢字
の入力の時に、その候補を音声で読み上げてくれるようになったので、携帯を使
うようになった。私は廊下と呼んでいるが、室内での歩く練習の時、携帯でメー
ルの処理をしたり、している。
 さて、昨日メールが届いた話に戻ろう。人吉市の人からであった。人吉には、
ある学習会のことで、何回も出かけて、その思い出が多いところであるが、その
学習会の会場を世話してくれた人が、今回、メールをくれた人である。
 その中身は、私のブログを読んでいるという物であった。そして、なんとその
人も脳の病にかかり、片麻痺を経験している人である。だから、私の書いている
ブログの内容をはっきり理解しながら読んでくれているようである。例えばこ
んな1文があった「患側で仕事ができた時は、本当に嬉しいですよね」
このように、最近、「読んでいるよ」と言ってくれる人が、少し増えて来ている
ようで、本当にありがたい。
 どうだろうか、このブログの形式を、メールマガジンのように、メールで出し
た方がもっと読む方は便利なのだろうか。

2008年4月27日日曜日

オルトキー

08年4月27日(日)午後0時
 今、散歩から帰ってきた。やがて5月になる外は、爽やかな風がそよいでいた。
さて今日も私の体の快復の話である。
 昨日、パソコンをやっていて、オルトキーを人差し指で押してみて、まがりな
りにもキーを働かすことができて、大変ありがたかった。そして今日は、それを
実際に、パソコンの操作の一環として用いることにした。前にも少し書いたが、
視覚に障害のある私は、パソコンの操作にマウスが普通には使えない。そこで
キーボードにあるおよそ100もあるキーを使って作業をするのであるが、その
なかでもこのオルトキーは大変使用頻度の高いキーである。
 例えば、この文章を書き終わった時も、文書の保存、そしてその文書の移動等、
その度にメニューを開くのであるが、このメニューを開くためのショートカット
キーとしてこのオルトキーを使うのである。
 この、キーを押すために人差し指を使う時にも、腕の強張りが最も大きな妨げ
としてはたらいている。そこを乗り越えてやらなくてはいけないのだが、面白い
事の一つは三角筋など腕の筋が指を使う時にも、腕を持ち上げる様に働いて、腕
の緊張を減らすので、直接の関係は無くとも、腕の最も上部にある三角筋と指が
関連していることである。
 

2008年4月24日木曜日

キーボード

08年4月23日(木)午後7時
  視力のない私は、パソコンの操作は、マウスの代わりに全てをキーボードで
行う。それでどうしても両方の手の指が同時に使えることが必要である。例えば、
オルトキーを押しながら、エンターキーを押すなどである。
 脳の出血後、左の手足の訓練をしてきた私は、ずっと退院後、右手だけで操作
をしてきた。先に挙げた例のように、簡単な物は右手だけで行い、文字など
の入力になると、良い方の手だけで使えるソフトを買って使ってきた。しかし、
何とももどかしい操作なので、何時かは両方の手で操作できるようになりたいと
思っている。そこで今日は、初めて、左の人差し指でオルトキーを押しながら、
右の手でカーソル移動キーを使って、ファイルを閉じることができた。
 これは、良い訓練になりそうでありがたい。

2008年4月23日水曜日

物をテーブルに置く3

08年4月22日(水)午後9時30分
 先月は、仕事が、以前の8割の量まで快復した。そのうち自分が受け持つのは
4割である。
そのためもあって、もう少し手の訓練をする必要を感じて、昨日から、円筒形の
物を持って、少し上に上げて次はそれをテーブルに置くことをしている。
 ここまでは、今月の二日の記事である。それから湯呑みをテーブルに置くこと
を、幾度となくみた。機能は反則で成功した。つまり、テーブルに置こうとする
と、手の指が湯呑みにからみつき、離れないので、湯呑みを向こうへ少し勢いを
つけて押しやってみた。見事反則成功だった。
 先ほどまたやってみた。本当は練習として10回やりたい気持ちもあるが、ち
ょっとフラッとやってみた。見事りっぱにできた。湯呑みはゆユラユラとはした
が、倒れずにテーブルに落ち着いた。湯呑みの水平になろうとする弱い力も、左
の指で感じることができた。
 

2008年4月20日日曜日

物をテーブルに置く

08年4月20日(日)午後11時
 物をテーブルに置くことは以前にも書いた。あれから練習をして、洗面所でも、
テーブルでも、お茶や水が入った湯呑みやコップを持ってみて(正しくは持たせ
てみて)飲んで見ることにしている。半分以上は飲めるが、最後は傾ける角度が
大きいので、腕のこわばりのために、それはできない。もっとも、そのこわばり
を乗り越えて動かすとこわばりが減ることは、既に歩く運動で下肢により経験済
みであるのでそこを何とかやらなくてはいけないが、今のところできていない。
しかし最近、仰臥位での手を空に向かって挙げる運動が軽くできるようになるな
ど、良い兆しは見えているので、さらに手のあるいは腕の訓練に励みたい。その
一環という訳ではないが試したくなったために、湯呑みをこれを書くちょっと前
に、テーブルに置いてみた。みごと大失敗で、湯呑みはテーブルの上にころがっ
た。握った指が湯呑みから離れなかったのが原因である。腕で湯呑みを持って、
つまり腕にそして指にも、ある程度力を入れて湯呑みをテーブルに置くという作
業をしていて、そのために、力が健康な人よりも入ってしまい、指が動かせなく
なっていたのであった。今後は、このこわばりを、どのように退治するのかが問
題である。
http://oushi-izumi.blogspot.com/

08年4月20日(日)午後4時
 最近、ハムでまた楽しむようになった。昨日、Wさんと話しができた。夕食が
終って、少しゆっくりしようとマイクを握った。彼は、ハム仲間の集まりで、よく
声をかけてくれる、優しい心の持ち主である。今日もバイクに乗っていて、私
の呼びかけに答えてくれた。私のアンテナは、台風で壊れてから、屋根には挙げ
ることをしないまま、2階のベランダの柱に、2段のGpをくくりつけている。そ
れで波があまり飛ばないので、心配しながらのオンエアーである。そこでWさん
に聞いてみるとメリットファイブで届いていると言う。
  このメリットファイブとは、全く明瞭に聞こえていると言う意味であるので、
安心した。
 彼は、ハーレーダビッドソンのバイクに乗って楽しんでいるが、私はそれを聞
いて、再び、馬に乗りに行きたくなった。
「FKBさん(私のこと)春風が気持ちいいよ」
これを言われて私は、あの阿蘇で馬に乗って走った時の風を思い出した。
「馬に乗りたい」
私がいうと、「モンゴルだろう」と彼が言う。私はそれを聞いて、阿蘇とモンゴル
の馬に乗った事を思い出した。
私は思った。
「よし、更に訓練を頑張って、今年の秋か来年の春には、乗馬に行こう。」

2008年4月17日木曜日

訓練の道具

08年4月17日(木)午前11時30分
 今湯呑みを持った事を書いたが、それで気づいて、毎日使っている手の訓練の
ための瓶をもう少し大きな物に変えても良いのではないかと考えた。
 それで、その瓶を探した。
 するとお茶の入っていた瓶があったので、家の者がそれを持ってきた。握って
みると、前のよりも直径が少し大きくて訓練のステップアップには丁度良い。そ
れで、これに使い終わった電池を入れておもりにして訓練の道具のできあがりと
した。次の訓練からはこれを使おう。
 

湯呑み

08年4月17日(木)午前11時
 今、お茶を飲んだ。最近、手の訓練でコップよりもやや細い瓶を持って、訓練
をしているので、湯飲みを持ってみたくなった。お茶が入っているので慎重に右
手から左手に湯呑みを持ち替えた。ここまでは以前にもやったことがあった。今
度は、いよいよそれを口の傍まで持って行き、手前に傾ける作業をしなければな
らない。まず、上に上げるのはなんなくできた。次に手前に傾けるのが、腕の強
バリを感じながらゆっくり行わなければならなかった。それでも、数回繰り返し
て茶をほとんど飲むことができた。しかしさすがに、最後の湯呑みの底を持ち上
げるような動作は辞めることにした。それでも、湯呑みでお茶を飲めるとは、大
変ありがたく嬉しい。

2008年4月13日日曜日

熊本44総会

08年4月13日(日)午後10時
 今総会から帰ってきた。熊本44総会である。この熊本44とは、ハムのクラ
ブの名前である。
2年ぶりに参加した。相変わらず、暖かく、和やかな雰囲気の総会であった。
 自分で動けない私は、いつものように、周りの人の世話で、ビールを飲ん
だり、お手洗いに行ったり、なに不自由なく約2時間、楽しく過ごすことがで
きた。
本当にありがたい。

2008年4月2日水曜日

物をテーブルに置く。

08年4月2日(水)午前9時
 先月は、仕事が、以前の8割の量まで快復した。そのうち自分が受け持つのは
4割である。
そのためもあって、もう少し手の訓練をする必要を感じて、昨日から、円筒形の
物を持って、少し上に上げて次はそれをテーブルに置くことをしている。
まず、それを持つのが患側の手だけではできない。指の開きが悪くて、その物を
押しやってしまう。それで初めは健側の手で持っていて、患側の左手で持つと、
なんとかできる。
 次にそれを持ち上げる。これはなんなくできる。そして今度はそれをテーブル
に置く。これはやや難しい。そして最後に手をそれから離す。これも難しく、右
手で物を持っていなければできない。総て、力がないのではなくて、こわばりが
じゃまをするためである。

2008年3月25日火曜日

屈んで歩く

08年3月25日(火)午後3時
昨日、屈んで歩くのが、少しできるようになっていた。
 朝起きて、ズボンを取り出そうと、ベッドの足下の引き出しの前に屈んだ。少
し横移動の必要があったのでそのまま屈んで歩いて見た。バランスが取りにくく、
前のベッドに思わず掴まった。そして歩いてみるとできるようになっていた。立
って歩くのと同じに、段階を踏む必要があるのかも知れない。
 今、その翌日に、この文を書いているのだが、
ちょっと掴まらずにも屈んで歩けないか試して見たくなった。やってみると、悪
い方の足を出すのが大変力がなくて難しい。

ズボン

08年3月25日(火)午前9
昨日から、トレーニングパンツと言うのか、ゴムの付いたズボンを終わりにした。
普通のズボンというか、つまりベルトを嵌めるズボンを履く前に、練習用ズボン
とでも言えるかも知れないが、これを昨日から履き始めた。
 ズボンの前は、普通のズボンと同じ形をしているチャックも普通に前側にあり、
その上部には現在もそのように呼ぶかは分からないが、私の子供の頃は「カギホ
ック」と言っていたが、それも付いている。次にベルトは使わないので、ズボン
の上部の回りにもそれを通す物はない。そしてズボンの後ろ側には、ゴムが入っ
ている。このゴムの長さは、ズボンの周囲の3分の1ぐらいある。そのために、
ズボンは下にずりおちることもなく、履き心地は快適である。見た目は私には分
からないが、いろいろな意見がありそうである。
 これでまた健康に近づいた感じがしてありがたい。

2008年3月19日水曜日

仕事

08年3月19日(水)午後3時
最近、仕事を、日に数人するようになった。先月までは、多い時は5人とかあっ
たが、少ない時は2人ぐらいが多かった。3月ぐらいから、ほとんど日に4人ぐ
らいはするようになった。仕事への復活が本当にできそうで有り難い。

2008年3月16日日曜日

左の手で物を持つ

08年3月16日(日)午後3時
 ここ数日、移動する時に、悪い方の手に物を持つようになった。その物が、テ
ィッシュペーパーだったり、剃刀だったりなど、大きさがまちまちである。
 しかし、まだ左の手で物を掴みに行くことは、まだ限られた物しかできない。
今は、右の手で物を持ち、それを左手に持ち替えなければならない。今日は、テ
ィッシュペーパーの箱を持ったので、左手の親指を強く開かなくてはならなかっ
たので、左手で物を持つようになった事を意識し、書き込みをしようと思った。
 昨年の終わりまでは、物は持ったが、滑って行き、床に落としたりしていた。
今年になって指のあるいは腕の練習を増やしてから、次第に変わって行ったよう
に思う。

2008年3月15日土曜日

あぐら

08年3月15日(土)午後11時
 ここ数日、座る時に、あぐらをかく。その時に、左の下腿を右の下腿の下に入
れるのであるが、それをするためには、手を後ろに突き、お尻を浮かせて、左の
下腿を右の下腿の下に入れていたが、昨日ぐらいから、座ってお尻を床に下ろし
た後、手を後ろに突かずに、左の下腿だけで、右の下腿の下に、左の下腿を滑り
込ませるようになっていることに気が付いた。

家庭訪問

08年3月15日(土)午後7時
 今日、患者さんの家を尋ねた。この人は、廊下で歩く練習をしていたが、15
分歩けるようになったので、いよいよ外に行くことにした。一人では危ないので、
息子さんについてもらうことにした。
 実際的には、息子さんに直ぐ後ろに着いてもらい、家の出入りから全てマンツ
ーマンでやってもらおうと思っている。
 ところで家は廊下も、出入り口のところも、手すりや掴まれる物があり、思っ
たよりも整えられていた。なによりも、息子さんと本人との心が通じているので
やりやすい。

2008年3月14日金曜日

08年3月14日(金)午後2時
 ここ数日、暖かく春の気温になった。去年の来月4月からは、外を歩き始めた
事を思い出す。
 7月までは次第に歩く距離を増やしてったが、それからは距離をの伸ばしにく
くなったので、短下肢装具を外して再び隣の家から歩き直して、今度は距離が伸
びていった。そして11月、距離を伸ばすことより繰り返して、こわばりを取る
ことをを心がけることにした。それから腕も下肢もこの考えでやっていると、こ
わばりが減り、スピードが上がるように思われるようになった。
 歩く時に、良く考えたことであるが、こわばりに打ち勝って歩くと、こわばり
が減るのではないか。
 それが正しいかどうかは分からないが、最近は思っている。それは、運動の分
割が進むと、こわばりに打ち勝って無理にこわばりを和らげたのか、分割が進ん
で、強張り賀減ったのか、今私の頭では、決着がついていない。
しかしこの研究は、その道の人に任せて私のやるべきことは、患者さんの快復を
計ることだと思いそれにエネルギーを使いたい。

2008年3月11日火曜日

ワゴン

08年3月11日(火)午後4時
 今日、治療中に、ワゴンを動かそうとした。これまでは、右手だけでやってい
たが、最近、風呂の蓋を動かしたりして左手がやや動き始めたので、使ってみる
ことにした。まず、ワゴンの縁を持った。不用意に左手を大切な物の傍に置いて
いると、急に左手が動いて、物を撥ね飛ばすことがこれまで何度かあった。水俣
の福田農場でも、うまそうな焼きめし(本当はパイレキアとかなんとかいう横文
字でもっと複雑な料理かも知れないが名前は忘れたので)をテーブルから払い落
としたことがあった。係の人が始末をしてくれたが、大変申し訳なかった事を思
い出す。
 さて、ワゴンの上の物を落とさないようにその縁を持った。そして両方の手で
ワゴンを動かした。たったこれだけのことであるが、大変ありがたい。

2008年3月10日月曜日

靴下

08年3月10日(月)午後4時
 一昨日出かける前に、靴下を1年ぶりにはいた。昨年の春の今頃は、家の中で
は羊の毛でできた長靴のような物を履いて過ごし、屋外では、運動靴を履いてい
た。しかし一昨日のその時はは、気分を変えて靴下を履いて見ることにした。
 一昨年の秋、まだ入院していた頃は、3分から5分かかって履いていたが、一
昨日やってみたら、30秒ぐらいだった。つまり、左手も靴下を指を入れて持つ
ことができて、なおかつ引っ張り挙げることができたので、スムースにはいかな
くても、あまり困らずに、靴下を履けるようになっていた。
 

2008年3月8日土曜日

布団の上を歩く

08年3月8日(土)午後8時
 今朝、思わず布団の上を歩いて、その長さを渡りきった。
 知らずに部屋を歩いていて布団に乗ってしまったのだが、引き返さなくて、思
い切って歩くことにしたのは良かったが、途中では脚を留めて、一歩一歩歩いて、
捻挫をしないように気を付けた。

2008年3月4日火曜日

風呂の蓋

08年3月4日(火)午後7時
 ここ数日、風呂の蓋をする時に、左腕を外に開いて蓋の端を広げることができ
るようになった。
  風呂から上がる時に風呂の蓋をするのであるが、まず、洗い場の端にある蓋
を両方の手で持ち、風呂の縁に置く。つまり、風呂の蓋をすぼめた形で、向こう
の縁からこちら側の縁まで、丁度風呂に橋をかけるように置くのである。それか
ら今度は、そのすぼまった蓋を両横に広げて風呂の全面を蓋で覆う訳であるが、
この蓋を広げる時に、これまでは左側和右の手で行わないと、できなかった。そ
れが最近、左腕が外に動き易くなったので、やってみると蓋の端を持ったままで
できた。少しずつ、腕の強張り賀減っている現れで、ありがたい。

2008年3月2日日曜日

腕を挙げる

08年3月2日(日)午後8時
 仰向けで手を天井方向に肘を伸ばしながら挙げるのが、やっとできる状態から、
10回の練習ができるようになった。

2008年2月25日月曜日

仰向けでの横移動

08年2月25日(月)午前8時
 今日の起きる前に、寝床の中で、体を横に移動したら、患側への移動ができた。
その時に、左の腕の肘の直ぐ上の部を使ったり、肩胛骨の部分を使ったりしてい
ることに気がついた。
 少し前までは、一端横になってから、前つまり仰向けでは横になるが、そのよ
うにしか移動ができなかったのが仰向けのままでできるのはありがたい。

2008年2月23日土曜日

歩行と携帯電話

08年2月23日(土)午前8時
 今日、リハビリの本を読んでいた。
もちろん、自分の体も気になるが、最近片麻痺の人の治療をするようになったの
で、少しでも自分の仕事を良くできないかと思い、読んでいるのだが、今日の所
に、「あまり意識的に頑張り過ぎる事は、特に歩行など、繰り返しの無意識的な
運動については、やり過ぎは良くなく、無意識にできることも訓練したい」とあ
った。そうか、安全な所での、歩く訓練では、携帯でメールを書いたり、受信し
て読んだりしながらの訓練はいいんだと思った。何時かその道の人に確かめて見
たい。
 それにしても、脳出血の治療的リハビリが半年までなので、その後の所に、我
々の仕事を見いだして行けたらと思う。
 

2008年2月18日月曜日

掴まるから触れるへ

08年2月18日(月)午前8時
今日、確実になったと思い書いている。
 歩いていて、視力の無い私は、狭い場所になると、自分の傍の物に触れて歩く。
最近それが、病気になる前のように、文字通り触れて自分の今の位置を確認する
ようになった。
先月までは、狭い場所へ行けるようにはなっていたが、傍の物に触れることも兼
ねてはいたが、倒れないように支えるために触れてもいたという感じであった。
それで、引き違いのドアではなくて、手前に引いたり、向こう側に押したりする
開閉式のドアの場合、触れるよりも掴まる意味が強かった私の場合そのドアは、
私がそれを持ったままでそのドアの部屋への出入りをするときには、ドアが前後
に動いて、大変私は緊張したが、最近はドアには触れるが掴まった状態ではない
ので、安心して部屋への出入りができるようになった。

2008年2月12日火曜日

仰臥位での運動が一つ増えた

08年2月12日(火)午後10時
 昨日、朝目覚めて、起き上がる前に、仰向けのままで、肘を曲げて、手を上に
挙げたら、真上まで上がった最後は、肘を伸ばしてみると、ほとんど腕は真っ直
ぐに伸びた。
 座位では、腕は真上には上がらない。
 次に、昨夜風呂に入る時に、湯船に入る場合、これまでは手すりを持って入っ
ていたが、数日前から、湯船の縁を持って、入れるようになった。また、湯船か
ら上がる時も、湯船の縁を持って上がれるようになった。

2008年2月7日木曜日

左下での横臥位

08年2月7日(木)午後6時
  今日、確実になったと思い書いている。私は毎日鍼をしてもらっている。今
日も右の側頭部をしてもらった。その時に、試しに左を下の横臥位になって見る
と、痛みが肩にない。これはと思い続けて見たが、鈍痛は起こらない。数日前に
もこの同じ姿勢で鍼ができたので、これからは、必要な時には、この姿勢で、鍼
がしてもらえると思い、ありがたかった。
 右の側頭部の鍼が良いのか、最近、リハビリを増やしてイルのが良いのか分か
らない。

2008年2月4日月曜日

腕を挙げる。

08年2月4日(月)午後10時
 昨日、朝目覚めて、起き上がる前に、仰向けのままで、腕を伸ばして、上に挙
げたら、真上まで上がった。座位では、腕は真上には上がらない。
 次に・一昨日に気づいたのであるが、患側を上にして横に寝て、腕を伸ばして
真っ直ぐ腕を伸ばして腕を挙げたら上がった。横臥しているので、肩の関節の外
転になる。
リハビリの回数を増やしてから、手のほうも、少しずつ良くなっている。

2008年1月31日木曜日

紙を折る

08年1月31日(木)午後10時
 今日から、チラシを折ることを始めた。チラシを二つにする。そして次に、ま
た二つに折る。4回から5回折る。これで腕の強バリを減らして、治療室のタオ
ルケットをたためるようになりたい。

2008年1月28日月曜日

支援会4

08年1月28日(月)午後1時
 まず、体調はよイ。最近は、手のくんれん訓練を増やしたためか、左の腕を、少
しずつ動かせるようになっている。3日ぐらい前からは、お手洗いの水洗の水の
レバーを動かせるようになった。
 さて、支援会は、総会をすることになった。案内状を出したら、8名の参加申
し込みがあった。
今度は初めての総会で、会長や役員を決めて、予算や会則を正式に決める必要が
ある。昨年よりもやや予算があるので、活動が楽しみである。
http://oushi-izumi.blogspot.com/

2008年1月24日木曜日

下履きの紐を挙げられるようになる

08年1月17日(木)午前11時
昨日ぐらいから、下履きの紐(ゴム)を持って、健側と一緒に引き上げることが、
ほぼできるようになった。患側の腕の力が付いたことと、その腕の強張り賀減っ
たためである。
 膝の悪い患者さんに、顔も治療してといわれてリハビリの訓練を増やしたのが
良かったのだと思う(生き甲斐の鍼の治療のお陰かな)。
 あすなろ支援会は、総会を初めてすることにした。今、その準備をしている。
事務局係の協力が、ありがたい(この会も、生き甲斐になるかな)。
 これをお読みの方で、この会のことで、何か思いつかれたらトラックバックま
たはメールをいただけないでしょうか。皆さんのご提案、ご質問をお待ちします。

2008年1月20日日曜日

外科医院の階段

08年1月20日(日)午前8時
 昨日、外科に行った。血圧のため通院しているが、ここにかかって良かったと
思っている。先生の人柄が大変大変良い。
 その建物に入る時のことである。そこには、比較的段の高さが小さな階段があ
った。
 これまでは、リハビリの原則通り、健側の脚から段を上がり、患側の脚を同じ
高さの段に乗せるという事の繰り返しで階段を上がっていたが、今週の私はこれ
を、普通の人のように、左右の脚を、互い違いに登ってみる気持ちになった。そ
れは、数日前にこのブログで書いたように、歯科医院の階段が楽に登れたためで
あった。
 実際にやってみると、難なくスムースに上がることができた。大変ありがたい
と思ったのは、いつもの通りである。
http://oushi-izumi.blogspot.com/

2008年1月16日水曜日

歯科医院の階段

08年1月16日(水)午後9時
 まず、体調はよく、歩く時に、左の足が上がりやすい。この脚の話は一昨日の
出だしの部分であるが、廊下で歩幅をやや広く歩く練習をしたためか、歩く時に、
左右の脚の代わりが代わりが大分良くなった。昨日歯科院へ行ったが、その入り
口にある4段ぐらいの階段がかなり歩き易かった。

  
http://oushi-izumi.blogspot.com/

2008年1月14日月曜日

カラオケ大会

08年1月14日(月)午後5時
 まず、体調はよく、歩く時に、左の足が上がりやすい。
 狭いところや、歩きにくいところも、大分掴まらずに歩けるようになってきた。
  さて、「あすなろ支援会」のことを書きたい。昨日は、始りの事を書いたが、
その続きは後日書くとして、今回は活動の一部が分かる、昨日の行動を支援会の
メーリングリストから引用してみたい。
Subject: カラオケ
Date: Mon, 14 Jan 2008 08:22:05 +0900 (JST)
From: oushi <oushi@s6.kcn-tv.ne.jp>
To: アスナロ支援会 <asunaro-shienkai@yahoogroups.jp>

皆さん、おはようございますオウシです

3連休、いかが
お過ごしですか?
昨日、別の集まりでカラオケのある店に行き、そこで相談して、おでんカラオケ
大会を2千円ですることにしたいと考えました。
総会後にしたいと思っております
現在、事務局係と総会のことで細部を詰めておりますので、その形が見えた段階
で、皆様にお伝えしたいと思っております。

今日は、総会後のことが見えてきましたので、ここに書き込んでみました。
皆さん宜しくお願いします
http://oushi-izumi.blogspot.com/

  

2008年1月13日日曜日

生き様

皆さん、こんばんはオウシです。
今、テレビでドラマがあっています。鹿児島の府末の頃の話です。
なんだか面白そうで、暫く楽しんでみようと思います。
新しい鍼(平方鍼法)をどのようにしたら、盛んにすることが出来るかの、ヒン
トがあるような気がしますが、皆さん如何でしょうか。
特に私が気を付けて見たいのは、人物の生き様です。
では、また。
http://oushi-izumi.blogspot.com/

あすなろ支援会2

08年1月13日(日)午前7時
 今日は、6時頃に起きた。仕事の部屋に行き、少し歩いた。正月も歩くのは辞
めていないので、下肢は衰えてはいない。そしてその後にブロックの作業をした。
正月が終わって数日になるためか、手の重さが減ってきた。やはり手は腕は、下
肢よりも何倍か訓練が必要の用である。しかし私には鍼がアルので、訓練が嫌に
ならないのでありがたい(生き甲斐)。
 ところで今日から「あすなろ支援会」の事を書くことにしていた。
 
 会は昨夏始めた。役員5人が会員であった。この役員は、役員会を開くために
作った。
 今日はここまでにしたい。
 これをお読みの方で、この会のことで、何か思いつかれたらトラックバックま
たはメールをいただけないでしょうか。皆さんのご提案をお待ちします。

2008年1月5日土曜日

洗い場を不安なく歩ける

 08年1月5日(土)午後12時
 最近は、風呂の洗い場を手すりに掴まらずに歩けるようになった。
何ともありがたいことである。
 今年も早、五日を過ぎたが、手と脚の働きを8割にしたいと強く願わされてい
る。
このブログヲお読みの皆様、
今年も宜しくお願いいたします。
 http://oushi-izumi.blogspot.com/